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光は闇の中に輝く(推し活)

mikepunchは今年たくさんの素晴らしい世界に出会いました(noteでつながって頂いている皆さまもです!もう最高!)。東八幡キリスト教会もそのひとつです(ここも最高!)。まさか自分がキリスト教会を「推す」ようになろうとは夢にも思いませんでした。生きてみるものですね。

その東八幡キリスト教会のお話を、以前の記事で書きました。

光と闇とのお話です。かなりあいまいな、いいかげんな理解でテキトーな事を書いてしまっておりますが、素人なので許してください。

その光と闇について、東八幡キリスト教会の奥田牧師が記事を書いておられます。クリスマスメッセージです。今朝読んで、これはシェアしなくては!と思いました。読んでみてください。闇が怖くなくなります。

今年の三月ごろのこと、覚えておられますか。トイレットペーパーもマスクも消毒液もetcがことごとくお店から消えて、毎朝ドラッグストアの前に行列が出来ていた事を。

私は疫病の事よりも、そっちがずっとキツかったのです。お店の在庫を買い占めてしまう人がいる事が。マスクをメルカリで転売するなんて事も起きてました。ネットでそんな情報を見ては打撃を受けて、ぐっと落ち込んだりしました。

どうしてそんな事になるのかな、もし自分がそんな事ををするとしたら、原因はなにかな、と考えて、出てきた答えは「怖いから」でした。

無くなるのが怖いから、自分だけが「無い」になるのが怖いから。たぶんこれが理由かなぁと思いました。(転売目的の人はお金がなくなるのが怖いからでしょうか・・・)(その方たちは今どうしてるんでしょうね・・・)

でも、みんなが怖かったですよね・・・?それに気がつかなかったのかな?と思います。自分と同じ「怖い」をみんなが持っていると判ったら、「怖さ」はやわらぐではないですか。「怖い」はみんなで持てば、怖くない。(妙な標語みたい)

「自分だけが」になってしまうのは、他の人とつながる事が出来ていないからなのだろうと思います。人とつながる事そのものも「怖い」ことですから、お気持ちはちょっと判ります。でも、ひとりで「怖い」の中にいるのは、ずっと続きますし出口はありません。えんえん真っ暗闇。人とつながる「怖い」は、最初のハードルさえ乗り越えたら、「怖い」ではなくなります。(その代わりに「大変」とか「めんどくさい」とかが発生したりしますけれど、えんえんと続く「怖い」に比べたら全然ましで、ちょっと楽しかったりもします)

人とつながる、関わることを、フラットに自然に出来る世の中にしていければ、「自分だけ」はそのうち絶滅するだろうと私は思うのです。どうすればフラットに自然に人とつながることが出来るのかは、難しい顔をしないで、一緒にうどんでも食べながら考えているうちに、良いアイデアが生まれてくるような気がします。

「推し活」のはずが自分の話になってしまいました(反省)

自分の話ついでに。12月に朝の談話室で展開中の「おにぎり家の12月」で、子どもたちが教会を訪れたりしています。東八幡キリスト教会に出会った影響は本当に大きかったなぁと、改めて今年の色々を振り返っております。(すでに年末感です。ゴーン)

疫病の件と、もうひとつ私個人の身に5月に降りかかった苦しい出来事とがあって、暗い海でもがいた結果、今があります。noteの人たちに出会って、東八幡キリスト教会に出会って、キリスト教の事も少しだけ判って。自分が受けたダメージ=傷、抱え込んだ闇は、光のもとになって、誰かの役に立つことがあるかもしれないと思います。

たぶん、今年は、みんながそうなんじゃないかと。勝手にそう思っています。自分の傷から生まれた光を来年はどう使いますか?

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