勉強ができること。
自分で言うのはなんだけど、昔から人より少し勉強ができる方だった。
我ながら要領がいいなと思うけど、一生懸命勉強をしなくても、記憶をするのは昔から得意だったし、勉強のコツ?みたいなものを掴むのも得意だった。
でも、勉強が好きだったのかと言われたら、そういうわけではなかった。
いい大学に入りたいとか、そういう目標があったわけでもなかったし、学びたいことがあったわけでもなかった。
でもきっと、人より少し、頑張っていた。
理由は一つ。
『私が勉強を頑張ったら、親が喜んでくれると思っていたから。』
ほんの少し、複雑な家庭環境だった私の子供時代。
きょうだいはたくさんいたけど、私以外に勉強が得意なきょうだいはいなかった。
だから、(きょうだいの中で)誰にも真似できない特技で、目立とうとしていたんだと思う。
学年で一番を取れる。
テストは大体100点を取れる。
先生には毎回褒められる。
生徒会長にも選ばれる。
いい高校に入れる。
そんなこと、他のきょうだいにはできなかったから。
親も親戚も、すごいねって褒めてくれたし、褒められると嬉しかった。
嬉しいから続けた。
だけど、18歳のある日、プツリとやめた。
いくつかの私立大学と、国立大学に合格して高校を卒業した。
その中で、国立大学に入学した。
そして1年が経つ前に、私は大学を辞めた。
親にも、友達にも、当時付き合っていた彼氏にも、何も言わずに。
もう、充分だと思ってしまった。
喜んでもらいたくて勉強していたけど、それも、大学に入ったことで一区切りついたような気がした。
もう、勉強で喜んでもらうことはないかなって。
辞めたことを事後報告という形で親に伝えた時、ものすごく怒られるかなと思っていたけど、あんたは自分でこうと決めたことは絶対に曲げないでしょう。と、特にそれ以上は言われなかった。
それで、私の勉強頑張って褒められよう!の日々は終了した。
勉強しなさい!って強要されたことは一度もなかったし、嫌嫌やっていたってわけでもない。
幸いなことに要領よくできていたし、それなりに努力は報われていた。
だから、あんなに勉強ばっかりしてて失敗だったなーとか、もっと好きなことすればよかったとか、そういう後悔は一切ない。
今の自分にとっても、やっぱり役立っていると思うから。
いい大学を出て、いい会社に入ってっていう、理想的なコースは歩まなかったけど、自分の仕事を認めてくれる人にたくさん出会ってきたし、自分自身が興味を持って、面白いなと思える仕事を選んでこれてると思う。
勉強ができる子だったということ。
それはまぎれもなく、私を形成する一番大きなピースだと思っている。
人生を終える最後の瞬間まで、それは変わらない事実。
喜んでもらいたかったから。
褒められたかったから。
たったそれだけの理由でも、私はそれを続けたのだから。
勉強ができるから偉い、できないとダメ。
なんて、そんなことは思わないけど
誰かにかっこいいとこ見せたいとか、賢く見られたいとか、いい大学入って苦労しない生活がしたいとか、理由はなんだっていい。
”勉強ができる”って、損はしないよ。
長々と書いて、最終的に言いたかったのは、ただそれだけ。笑