最新のGoogle Pixelと生成AI機能の凄さから考察する写真の虚構性と現実性
こんにちは、おがくずにゃんこです。
ついに、Google Pixel 9 Proが手元に届きました。スマホ買い替え、テンション上がりますね。…今月のクレカ請求が心配です。
個人的に今回の目玉は生成AIのGeminiです。新機種購入者は6ヶ月間無料でPro版を使うことができます。今回Pixel9、Pixel9 Pro、Pixel9 Pro XLという3種類が発売されましたが、カメラスペックを考えるとProがおすすめです。ProとPro XLの違いは、サイズ以外あまりありません。
Pixel × Geminiは、久しぶりにイノベーションが起きたと感じる写真体験を提供してくれました。
本記事は発売からちょっと時間が経ってしまいましたが、現実を超えていくカメラ体験を紹介します。その後現実と虚構の境界が曖昧になりつつあることについて、個人的な考察をしたいと思います。
Google Pixel 9 Proのカメラレビュー
まずは写真を紹介させてください。
素人が何気なくパシャッ!と撮影した1枚ですが、素晴らしい精度です。さすがは50.1MP*、ウルトラHDR機能搭載。拡大しても建物1つ1つがくっきりです。
※1MPは1メガピクセル、つまり100万画素を意味します。つまりGoogle Pixelは5000万画素あります。これは一般的な一眼レフカメラに匹敵します
そして夜景の撮影はさらに度肝を抜かれました。肉眼でもぼんやりとしか捉えられないような明るさでも、バッチリと撮影できます。しかも手に持ったままでも、手ブレがほとんどありません。
ちょっと残念なのは、50MPでの撮影時はトップショット機能が使えないことです。これは短い動画からベストな1枚を切り抜けるイメージで大変便利だったのですが、これからは動きのあるものを撮影するときは動画の4Kモードを使用したほうが良さそうです。
他にも「一緒に写る」という機能や手のひらタイマーなど、人物撮影で便利な機能が追加されていて、表現の幅が以前(Google Pixel 7 Pro)よりも広がったように感じます。
溶けていく現実と虚構
ここからが本題です。まず最初にこちらの動画をご覧ください。サムネに使われているこちらの画像は、写真でしょうか?それともイラストでしょうか?
水たまりは写真っぽいけど、木の質感はイラストっぽい。結局私も正解がわからないのですが、予想としては写真をAIに読み込んでイラスト風に出力させたのではないでしょうか。有識者の方、教えてください。
何が言いたかったかというと、最近はこのように写真ともイラストともとれる、そんな作品が増えています。AIグラビアなどもクオリティが上がっていて、リアルとの区別がつかなくなってきています。
翻って、Google Pixelの写真も紹介しましょう。都内某所での写真です。
うーん、夜の水面も美しく捉えられていますね。
….ところで、どこかに違和感がないでしょうか?もしここで違和感を見つけられたら、あなたは相当な慧眼の持ち主です。
実は先ほどの写真は「編集マジック」という機能を使っていて、奥にある建物は生成されたものです。オリジナルは、以下の写真です。
ではもう一枚見てみましょう。次の写真は、どこかに違和感がないでしょうか?
先ほどよりも分かりやすいですね。柱のマンホールのような蓋の部分が、無くなっています。それにしても自然な仕上がり。消しゴムマジックでフ◯ちゃんを消した技術なだけありますね。
これらの写真からいえることは、生成AIは民主化されたということです。誰でも好きなように加工し、理想的な一枚を追求できる時代になりました。
ただ、そうやって完成した一枚に対して、それは現実を捉えているのか?という疑問が出てきます。イラストのような、創作に近いものという感覚です。実際iPhoneのズーム写真が遠くのオブジェクトを補正しているのではないかという話題もSNSでバズりました。
何気なくSNSを眺めて、良いなと思った景色は現実に存在しないのかもしれません。
しかし、よく考えてみればこのような「私たちの期待」との乖離は今に始まったことではありません。
加工アプリが出たことで、女の子の写真は可愛いものばかりになりました。インスタのフィルターを通した画像は、どれも新海誠もびっくりなほど鮮やかな色彩に変化しています。
編集マジックという機能も同じように、今ではマジックのように意表をつくものですが、そのうちありふれた加工の一つになるかもしれません。
このように既に私たちが日常で見ている写真というのは、現実そのものではありません。アートとまでいうと大げさですが、現実から捨象された表現物なのです。生成AIという新技術によって、また新しい表現が生まれたに過ぎません。
順応することで、Pixelの写真も現実として受け入れられるのです。