コンピューターとインターネットとわたし
私は1979年生まれですが、ベテランの諸先輩の中には小学校からパソコンを触ってたという人もいます。
パソコン通信は経験ないのですが、実家にリコーのブラウン管式のワープロ専用機がありました。当時80年代後半当時、リコーのリポートシリーズの4桁の番号の機種なんですが、古すぎて出てきませんでした。どちらかというと法人向けなので、あまりメジャーではなかったと思います。同じものが母方の実家の会社にありましたので、父が同じものを欲しがったのでしょう。と言っても、父はほとんど触らず、当時小学生の私が時々起動しては何か文章を書いたり、起動後のメニュー画面をいじったりしていました。
高校を卒業してすぐに進学した短大で学生が自由に触れるようにパソコンが置いてある部屋がありました。その電算室が初めてのインターネットとの出会いでした。私の通う短大は私立文系大学の短期大学部だったので、大学を含めるとそこそこの人数の学生がいました。なので当時としては学生が自由に扱えるパソコンをたくさん揃えていた方だと思います。
遡って中学時代にもパソコンの授業がありました。私が通った中高は商業学校を源流とした学校だったので、当時は中学生でも週に一回だけ商業の授業がありました。最初は珠算(そろばん)の授業だったのですが、2年生からそろばん、パソコン、ワープロの選択制に変わりました。私たちの世代は小学校時代にそろばんを習っている人が多かったのですが、そろばんは苦手だったので、2年、3年はパソコン、ワープロを取りました。当時のパソコンで何をしたか記憶ないですが、黒い画面ってやつでした。高校は普通科だったのもありコンピュータ関連の授業は何もありませんでした。
短大でインターネットに触れたものの、自宅にはパソコンがなく、漫画喫茶でネットをする日々でした。その後、インターネットができるモバイル端末を持っていて、ひどい時は一日中掲示板サイトを見ていました。
同年代の方はご記憶あるかもしれませんが、ドコモがカラーブラウザボードというモバイル端末を投げ売りしてました。それを昔あったPHSという規格(一部医療機関などでは使われているらしい)使い放題のモバイルカードを使ってみていました。これはドコモの製品だったため、前提としてはドコモでしか使えなかったのですが、実際は当時あったDDIポケット(その後ウィルコムと社名変更)がサービスしていました。
参考: 当時のカラーブラウザボード紹介記事
参考: カラーブラウザボードが投げ売りされた理由について
とはいえ、インターネットはしているものの、パソコンを持っている訳ではなかったので、時々漫画喫茶に行ってパソコンでネットをしていました。2003年ごろに分割で、デスクトップパソコンを買いました。それでも、インターネットを見る日々でした。
当時やっていたアルバイトを辞めて週5日フルタイムの職業訓練に通いました。3ヶ月間OfficeソフトとHTMLなどのサイト制作を学びました。その間にパソコンを扱うことに抵抗がなくなり、仕事でパソコンを使いたいと考えるようになりました。大したスキルがなくても、パソコンに抵抗なくなるのは当時の私には大事なことでした。
同時期にタッチタイピングを身につけて、大分パソコンを扱えるようになりました。
この話は、昔のパソコンなどに触れたきっかけの話をした時の雑談をまとめました。