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舞元力一の新サムネについてクソ真面目に考察してみた
『舞元力一』をご存知だろうか。
にじさんじ所属のバーチャルライバー、舞元啓介とジョー・力一の二人が送る「下ネタあり、同僚弄りあり、なんでもありの深夜ラジオ」である。
さて、2020年3月30日舞元啓介の新ビジュアルが公開に伴い、舞元力一のサムネイルが、4/6配信の#33から新ビジュアル仕様にアップデートされた。
4月6日0時(4月5日24時)からは!
— 舞元啓介👨🌾にじさんじ (@maimoto_k) April 3, 2020
舞元力一#33 !
サムネも新ビジュアルに変えてフレッシュな気持ちでやってまいります!
今回はもしも話とこれすこ!
メールフォームはこちらになります!
たくさんのお便り待ってます!#舞元力一https://t.co/jyJ7X5csMD pic.twitter.com/i5GQRmWulh
いちファンとして新しいスタートを応援すべきところだろう。だが、最初目にしたとき、違和感を感じてしまった。長らく活躍していた旧サムネイルの「舞元力一といえば」という強い印象がどうにも拭えない。
こんなのは些細な違和感だ、そのうち慣れる。そうやっていつものように飲み込んで、無かったことにしてしまおう。そんなことを考えていた矢先、ふと思った。
「この違和感を掘り下げてみたら、もしかして面白いのでは?」と。
違和感を言葉にして、目に見えるようにしてやれば、「なんだ、たいしたことないじゃないか」となるだろう。そして「変化を、どう応援するか」ということについて積極的に考えてみることも、明日のファン活動を豊かにしてくれるはずだ。クソ真面目に考えたことばは、ネットの海に放流してやれ。自分は違和感を感じたところで大したことではないが、違和感と向き合うのが苦手なリスナーだっているだろう。些細な違和感に足を取られ、それでもなお二人を応援したいリスナーが。そんなリスナーの助けになれるかもしれない。いや、なってやる!
これは、そんな傲岸不遜な野望を掲げて筆を執らんとした、ひとりの猫の挑戦である。
◆注意事項◆
・主にV視聴者(特ににじさんじリスナー)を読者として想定しています。
・この記事は野暮の塊です。わかってるので重ねて野暮とか言わないでください。ああ、お客様やめて!石は!投げないで!
・新サムネを非難することが目的ではないです。是非最後まで読んでいただければと思います。最後まで読まずに矢を放たないでください。
・ですが、申し訳ないことにクソ長いです……。
・クソ長いです。(大事なことなので)
1. なにが違うのか
まず、二つのサムネイルを改めて見てみよう。
旧サムネ
新サムネ
新サムネイルは、舞元啓介の新ビジュアル公開に伴って登場した。
ペヤング獄激辛やきそば、皆様の応援のおかげで完食できました!
— 舞元啓介👨🌾にじさんじ (@maimoto_k) March 29, 2020
ありがとうございます!
そして新ビジュアルのほう公開させていただきました!
遅くなってしまい、楽しみにしてくれていた皆様本当に申し訳ない!
これからも頑張ってエンタメできるよう努力していきます!
応援よろしく!!! pic.twitter.com/nTsqxI9Uaq
この新ビジュアルはにじさんじ全体で順次公開されてきているもので、2019年6月10日の月ノ美兎を皮切りに、3月末時点までに34名のビジュアルが公開されている。(非公式Wiki参照)
相方であるジョー・力一の公開が昨年12月、4ヶ月弱を経て、満を持して二人の新ビジュアルが揃ったことになる。
両国ふりかえり+新ビジュアルお披露目ありがとうございました!
— ジョー・力一(りきいち)🤡🎈 (@JoeRikiichi) December 9, 2019
変わったあなたを誰に見せたい? pic.twitter.com/EAgAuhTapX
以下、この二つのサムネを見比べながら、互いの違いについて観察していくことで、特徴を分析し理解を深め、そこから何かしらの気づきを引き出すことを目指していく。
1-1. ポーズの違い
まずはひと目見てわかりやすいところから。
新旧のポーズの違いについて見ていこう。
旧サムネ
素材が配信用のLive2Dモデル由来と思われる。視聴者に正対する姿勢をしている。画角がかなりアップなこともあり、手などの情報は見えない。そしてそれぞれ顔の半分が見えない。
新サムネ
単体で使用されることを想定した一枚絵のイラストが素材。旧サムネの正対する姿勢とは違い、各々のポージングがある。画角は少し引いて顔全体が見えるが、肩から下は隠れた構図になっている。
新サムネについてもう少し詳しく見てみたい。
・ジョー・力一の場合
わかりやすく、首から上と身体がちがう方向に傾いている。赤と緑の線でそれぞれの軸を図示してみたが、だいたい左右10°ずつ傾いているように見える。身体のひねりもある。キービジュアル全体ではさらに各パーツの傾き・ひねりをふんだんに組み合わせた構成となっていて目を惹かれる。
・舞元啓介の場合
身体は正面に向いている。だが、身体の中心線(赤線)の左右を見比べずとも気付くだろう。このおっさん、左右非対称の表情(ウインク!)をしている。(#にあってるぞこのやろう舞元)
また、手を顎に持っていっている。決めっきめである。
1-2. わかったこと:情報量の違い
ここまででわかったことは、シンプルにまとめてしまうと「情報量に差がある」ということだ。
旧サムネに対して、新サムネの方が多くの情報量をもった画面になっている。身体のひねりしかり、ウインクしかり、ポーズに個人の変化がついている。基本の姿勢から外れることで、各々の個性が見えてきている。
このことは、旧サムネの素材が配信用モデルであるのにたいして、新サムネの素材が一枚絵のキービジュアルであることから、理解できると思う。
配信用モデルは、「これから表情がつく」プレーンな状態だ。ここから様々な表情を見せてくれるニュートラルな状態だといっていい。
一方で、キービジュアルは一枚絵であり、それだけでモデルとなったライバーの個性や物語が伝わるよう意図してデザインされているはずである。必然的に、この一枚の中に多くの情報量が詰め込まれることになる。実際、公開されているどのライバーのキービジュアルも、ライバーそれぞれの魅力をあまさず伝える素敵なものばかりだ。
これはなんとなく、ソシャゲの基本イラストと覚醒イラストの関係にも似ているなと思った。初めましての段階では、キャラクターそれぞれの属性はきちんとデザインされているだろうが、同時に伝えすぎないニュートラルなバランスに抑制される。しかし、交流を深めたプレーヤーがその先で見ることができる覚醒イラストは、キャラクターの物語が贅沢に詰め込まれたものになるだろう。
では次に、この見つけた違い、「情報量の多寡」に気をつけながら、それぞれのサムネイルから受ける印象について検討していってみたい。その際、まずはこれまで見慣れている旧サムネの魅力を軸に考えていきたいと思う。
2. 違いからわかる旧サムネの魅力は何か
では、再び新旧サムネの違いを見比べながら受ける印象を思いつくままに検討していってみよう。
2-1. 身体の向き……傾聴?
旧サムネは身体の向きが真っ正面だ。対して新サムネでは、身体の捻りなどがあるから、みている側に対して身体が真っ直ぐ向いていない状態である。このことが、「傾聴を受けている」印象を損ねている、ということはありえるだろうか?
思いついて考えてみたが、これはそれほど差があるわけではない気がする。確かに新サムネは身体の向きこそバラついているが、顔はこちらを向いているし、目も合う。旧サムネがことさら「傾聴」を示しているとも言い難い。
2-2. 調和
もう一つ思いついたのは、画面の「調和」について。なんとなく、旧サムネの方が、調和が取れている気がするのだ。
そもそも「調和」とは何か。様々な考え方ができるだろうし、それだけで本が一冊書けてしまうかもしれないテーマかもしれないので、ここでは簡単に筆者の意見を書いておくに留める。ここでは「調和」を、「一つの表現(今回は一枚のサムネイル)が受け手に統一した印象を与えること」と考えて、先に進んでみよう。
まず単純に、情報量が多いと調和が取りにくくなる、という問題がある。要素が増えれば増えるほど、それを統一した印象で受け手に伝えることは難しくなる。旧サムネは、そもそも姿勢がニュートラルであることに加え、顔(身体)がそれぞれ半分隠れている画角になっており、全体として情報量が少ない。対して、新サムネは情報量が多くなっているのは前項で見た通りである。
次に、要素ごとの情報に統一性があるかどうか、ということが考えられる。もし情報量が多かったとしても、向きが同じであるとか、共通した配色であるとか、情報同士の統一が取れていれば、全体としても調和が保たれるということはあるだろう。(むしろ、素晴らしい作品というのは往々にして情報量の多さと調和が高いバランスで両立されていると思う。)
しかし新サムネにおいては身体の向きやひねり、手の位置などのポーズに各々の個性があり、異なる情報が共存している。このことがわずかながら全体の調和を取りづらくしていることは十分指摘できるかとおもう。
2-3. 旧サムネの強み=ニュートラルであるということ
一度、旧サムネの強みをまとめてみたい。
・ニュートラルだからこそシンプルに伝わる
ニュートラルだからこそ、余計な情報がなく、シンプルに伝わる。そんな骨太な魅力があると思う。顔が半分隠れていて、表情もプレーン。真ん中のロゴがよく目立つ。
・ニュートラルだからこそ、自由で拡張性が高い
これはリスナー(一元さん)には思い浮かびやすいのではないだろうか。舞元力一のサムネは、特にゲスト回で自由に遊ぶ。
ゲストがひょっこりのぞいていたり、
やたら増殖していたり、
めっちゃビッグでタイトルロゴまで席を譲ったりする。
ゲストのキャラクターに合わせて、実に細やかに、大胆に遊ぶ。
タイトルロゴにかぶったり(丸い)、
パーソナリティーにかぶったり、
やっぱりパーソナリティー(というか舞元啓介)が隠れたりする。
ニュートラルがしっかりと定まっていて、本人たちが必要以上に目立っていない(情報量が多くない)からこそゲストがしっかり目立つ。基本の型を中心として、様々なバリエーションで遊べるだけの余裕があるのだと思う。パーソナリティーが隠れるとか、最初に見たときは大笑いしたもの……。
3. 我々はいかにして新サムネイルを楽しむべきか
さて、ここまで見てきて、旧サムネと新サムネの違いについてはある程度分かった。旧サムネに感じていた魅力、旧サムネの優れている点については言葉にできた。
しかし、ここからは新サムネイルの魅力について語りたい。新サムネイルの中に新たな「良さ」を積極的に見出し、ポジティブに受け取ることに努めてみたいのである。
(提供されたコンテンツをポジティブに捉えて、消化すること——それこそが受け手に求められる技術であり責務であると私は思う)
これまで言及してきた通り、新ビジュアルの魅力はアピールされた「個性」だ。であるならば、新しいサムネイルの魅力も、その「個性」から生まれてくるはずである。では「個性」の生み出す魅力とは何か。
3-1. Vtuberと「コンテンツとしての個」
「個性」というなら、そもそもVtuberというものが、特筆して「コンテンツとしての個」がフォーカスされたコンテンツであると思う。アイドルも芸人も、今まで数多あるタレント業はみな「コンテンツとしての個」を売ってきたように思うが、ネット隆盛の昨今、よりリアルタイムにタレント個人のことを「コンテンツ」として消費する傾向が強まっているのではないか。その中でもVtuberは、一本一本の動画やストリーム配信のアーカイブの蓄積が、一つのチャンネルに集結してわかりやすく可視化されることで、今までとは一風違った形での「コンテンツとしての個」が生み出されていっているのではないだろうか。バーチャルであるが故に、不可視のリアルよりも、配信などで見えている部分に注目が向きやすく、その分「個が見えている」感じが強い、なんてこともあるかも知れない。
もう一度。新サムネの魅力の源は、「個性」に求めたい。二人の、異なる方向性の個性のぶつかり合い……だがそれこそは、我々が日頃視聴し楽しんでいる「にじさんじ」というコンテンツの、ひいてはVtuberというコンテンツの魅力そのものではないだろうか。
「統一性」という言葉から最も縁遠いまさに虹色のコンテンツたちが、互いにぶつかり合うことで、予想もしなかった調和を生み出していく、その瞬間こそ、我々リスナーが求めてやまないものであり、であればこそ舞元力一の新しい姿もそこにあるのではないか。
3-2. フレッシュな気持ちで
もちろん今までだって存分に個性をぶつけ合って、我々を楽しませてくれた二人である。今更「新しい魅力」ということもないのかも知れない。今まで積み重ねてきた魅力を捨てるという話でもまったくない。結局ここまでの話はただの「野暮」だ。
だが、舞元啓介のツイートにあるように「フレッシュな気持ちで」改めて送り出される今後のコンテンツに、また新鮮な期待を寄せて聴きたいと、いちリスナーとして思う。
新サムネでの初回配信は、本記事投稿後すぐ、日付変わって0時から配信予定。
さあ、初心に帰って、「なんでもありの深夜ラジオ」を楽しもう。
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