価値観というより思考力の違いがある
人と接していると「合わない」と感じる人の方が圧倒的多数です。世間一般では価値観の違いと言われますが、そもそも価値観以前に普段考えている事の深さが異なっていて、同じ土台に立っていない事の方が多いです。
しかし人は往々にして相手に対して「自分と同じスキル・立ち位置」を無意識レベルで求めてしまっています。けれども人というものは体格や顔がそれぞれ違う事と同じレベルで頭の構造・思考力が異なっているんですね。
それを知らずに無視して踏み込んでしまうから、ぶつかりあいが生じてしまいます。「相手がどのレベルにいるのか」という事を考える事をせず、それを考えるという発想がなく「同列だ」と思い込んで話しかけるとズレが生じてしまうのは当然の事です。
「相手の価値観を大切に」などとよく言われますが、そもそも大切にするほどの価値観・思考を持ち合わせていない人は多くいます。価値観などという立派な言葉以前に「自分勝手なだけ」である事が多いんですね。そんな自分勝手に合わせていたら心がすり減ってしまうだけです。
そうは言っても自分よりももっと深い思考をしている人から見れば、自分自身も考えが浅い人間の部類に入ってしまいます。だから相手を観察すると同時に、自分の事も客観視しなければなりません。
「人付き合いを上手にやろう」と思わずに「人の人生の責任は自分には関係ない」くらいの気持ちで、離れた所から客観的に接してゆく事が大切です。そういう中から数千人、数万人に一人というレベルの大切な人を見つけ出そうという心構えを持てばいいんですね。
「合わせよう」とするとすり減りますから、距離を取って「そのうち合う人が見つかればラッキー」程度の気持ちでいるとストレスがだいぶ減ります。
そうは言っても「それが出来ないから苦労するんだ!」という事が現実ではないでしょうか?HowTo本では「そうは言っても」の先は書かれていません。そうなるには「あきらめ」と「経験値」が必要です。しかしながらこれは一長一短で身に付くものではありません。
そしてこうした文章からもヒントは得られても答えは出てきません。何故なら「自分がみちびきだした自分だけの答え」以外は本当の納得感を得られないからです。長く悩んで考えて苦労してみちびきだした答えだからこそ「自分だけの結論」として身についてゆきます。
ちなみに私は今の結論にたどり着くまでに40年かかりました。そして必要なものが3つある事を知りました。「経験」「知識」そして「思考」です。この3つが上手に混ざり合って初めて「自分だけの答え」が見えてきます。
そこにたどり着くまでは長い道のりですが「精神疾患の苦しみを知らない人」と比べると、苦しみや悩みを知ったからこそ考える事が出来るとも言えるので、病気は自分を成長するための必要な栄養と言い換える事が出来ます。
病気で苦しいと嘆いているだけでは勧めません。知識を得なければ考える事が出来ません。知識と経験だけでは何も生み出せません。もう一つ加えるとすれば、途中で投げ出してしまってもやはり何も手にする事は出来ません。
健常な人が平地から山登りをするとすれば、精神疾患を持った状態は深い谷底から登ってゆく事になるので、這い上がる距離は2倍になります。2倍深く考える事が出来る自分になれる可能性を秘めているという事です。
耐え難い苦しみの中で這い上がってゆく事はとても難しい事ですし、人と接していく中で「価値観が違うから」と自分を落としてしまったり、理解してもらえる人が見つからず孤独だったりと困難を極める道を進むと、余計に病んでしまいますよね。
人と比べてしまったり、相手に合わせて疲れてしまうと、ただでさえ険しい道がもっと困難な道に変わってしまいます。ですので「価値観」という大げさな言葉で考えるのではなく「顔が違う、身長が違う、体重が違う」という違いと同列で「考えが違う」と軽い考えで人と接してゆくことが大切になってきます。