ウメちゃん
ウメちゃんに会ったのは、17年前、前に勤めていた特別養護老人ホームに併設された、訪問介護事業所でサービス提供責任者をしていた。
その頃は、介護保険が施行されて2、3年という頃で業績は右肩上がりになんの営業努力もせずに仕事がバンバンやってきた。当然、ヘルパー不足、責任者も現場をこなし、給与計算や訪問のシフトなど時間がいくらあっても足りなかった。
そんな時、ウメちゃんがやってきた。
ウメちゃんは私より一つ年下。独身。
母親が脳梗塞で寝たきりになったため、勤めていたお店を辞めて介護を担った。
そうして母親を見送ったころには、見事に婚期を逃してしまった。ウメちゃんはそれでも親のことで愚痴や恨み言を言ったりしない。
身につけた介護を仕事にと、ヘルパー資格を取って私たちの事業所にきた。私も主任も彼女には生活がかかっているのだろうと、フルタイムで来てもらうことにした。彼女は自分でエクセルも習ってきて、ドンドン仕事を覚えて行った。今季はパート雇で辛抱してもらっても来季は正職員にと推薦した。
しかし、病魔が彼女を襲った。 【乳がん】
44歳だった。検査をしたら
「切ったら治るんです。」とあっけらかんと言って手術になり、
「抗がん剤、するんです。」といい、半年休職したがまた、勤めてくれた。
その頃、施設オーナーの奥さんが施設のなかに入ってきた。副園長!
もう、「お嬢様」を絵に描いたらこうだという人だった。方針はコロコロ変わり現場は振り回されて〜〜
私と主任は独立を考えた。
ウメちゃんも連れて行きたかった。でも、先は全く見えない大冒険だった。とにかく二人で始めよう。軌道に乗ったらウメちゃん呼ぼう。
「頑張ろう!」
施設を飛び出して、小さなヘルパーさんとケアマネさんの事業所をやった。
ウメちゃん無理していないかな!気になって施設の守衛のオッチャンに聞いたり気にはかけていた。
再発、癌が治ってなかった。
今度はどんどん悪くなって、入院して会えなくなって!
主任はお見舞いに行ったけど
「会わない方がいいよ。」と言った。
お葬式になった。今でも私の携帯にはウメちゃんの電話番号がある。
ごめんね。一緒にまた仕事したかった。
不甲斐ないじぶんが辛かった。
なんもできないし、私!
ウメちゃんは、ウメちゃんの命はそれでよかったのかな!親の介護で若い時はすぎ、仕事に打ち込みかけたら病気になって!
時々、彼女を思い出す。
時間は限りあるということ。
それがどこで終わるかはわからない!
今を悔いなく生きるしかないね。
明日があるとの約束などないんだね!
これが、私の最大の失敗。
人の命を大事に出来なかった。
これが私の十字架だと思っている。
背負った十字架のために、私は正しいことをいい情報を広めるんだと決めたんです。
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