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ミズタマリ 2-3
「おい、しっかりしてくれよ。 今度の体育祭までには、治ってくれなきゃ困るぞ。」
日出男が、肩をつつくのを止めて、そう言った。
「ああ、そうだよな、確か、俺、リレーに出るんだっけ?」
数日前に決まったそのことを思い出して、カイトが、返事をする。
「出るんだっけ? じゃないだろ、おまえアンカーだぞ!!」
しっかりしろと念を押すように日出男に言われて、カイトは思わず、 「アンカーは、アキラだろ、あいつ一年の中で一番速い…」
そう言いかけて、自分の言葉にギクリと驚き、急いで口を閉じた。
日出男は、妙な顔をして、じっとカイトの背中を見ている。
カイトは背中に当たる視線が、昨日の自分の事を、 あの杯をアキラに教えた罪を知られているような気分で、落ち着かない。
日出男はそのまま、暫く考え込んでから、うんうんと、うなずいて、 「あいつかぁ、あいつも早いと言えば、早いけどなぁ…」
首を傾げて、そうぼそりと呟いた。
「の、野村! おまえ、アキラのこと覚えているのか!」
カイトがそれを聞いて、日出男に振り向き、慌てて聞いた。
「覚えてるも何も、そこに座ってるじゃん。」
日出男が指差した席には、確かにアキラが、 カイトの言うアキラとは別人の、眼鏡をかけた長身の桜井晶がいた。
「でも、あいつ足速いけど、今はサッカーで膝痛めてるだろ、 リレーに選ばれたのだって何かあった時のための補欠だし、 それにおまえの方が、タイムいいじゃん。 やっぱりアンカーはカイトに頑張ってもらうしかないよ、頼んだからな!」
日出男にそう笑顔で言われて、 カイトは、ただ、複雑な顔で俯くことしか出来なかった。
アキラが消えてから、
…全てが、微妙に変化している。
しかもそれは全て、カイトに都合の良いように変化している。
体育祭でやってみたかった、リレーのアンカーの事だけではない。
カイトは、今朝からずっと悪夢のように、何度も何度も、 その変化に驚かされている。
このクラスでは同じ小学校から来た男子が少なくて、 友達の少なかったはずのカイトが、 今朝は、何度も親しく話しかけられいた。
薄気味悪く思いながら、彼らにそれとなく聞くと、 小学校は別だけれど、カイトは楽しくていいやつで、 おまえとは、中学になってからの友達だと口々に笑って言う。
沢山の友達と朝から楽しく話して、一日が始まる…
それは、ずっとカイトが望んでいた事だ。
…小林香との変化はもっと激しい。
彼女はカイトを名前で呼ぶ。
いつもアキラをそう呼んでいたように、優しく呼ぶ。
そして、少しだけ、体を寄せる。
カイトに今まで接して来た態度と、微妙だが大きく違う。
そして、クラスの皆は、そんなカイトと香を、あたたかくからかう。
まるで、ずっと公認のカップルのように…
それは、カイトが望んでいた事だったが、 つい、昨日まで、全てアキラのものだったのだ。
アキラの席があった場所には別のクラスメイトが座っている。
このクラスにいた人間が居なくなったのを、誰も不思議がらない。
カイトは何とか昼まで授業を受けたものの、 給食を見た途端吐き気がして、そのまま、トイレに駆け込んだ。