記憶の不思議
今までの人生で他者からこんな扱いを受ける筋合いはないと感じて不愉快だったという経験は何度かある。
でも、それらすべてを忘れないで過ごしていたら、ずっと気分がよくないままの人生を送ることになる。
ある頃から人生は楽しく過ごすのがいちばんという考え方をするようになった私は、不愉快と感じることがまるでなかったかのようにする努力はしないけれど、受け止め方を変えるようになった。
受け止め方を変えたところでその事柄の記憶が消えることはない。
でも、そうすることで、不愉快な出来事のほとんどが自分の中で消化できるようになった。
「受け止め方を変えること」は「おめでたい人間」…私はそう思っている。
「おめでたいヤツ」でいようと、そこそこ努力をしている(けっして全力ではない…笑)からか、私の中での「不愉快記憶収納棚」に留まったままでそこから出ていかない記憶は次第に少なくなり、今では片手に収まってしまうほど。
数少なくなっても、その記憶の棚に留まったままで他の棚へ移る気配がないものがあるのは、おめでたい反面、執念深い性格でもあることが原因。
こればかりは持って生まれたもの。そういう性格は変えることが可能だとは知っているが、今のところ、私自身にその執念深さを手放す気がない。
中身は数少ないものの、私の中に確かに存在する「不愉快記憶収納棚」は、自分には必要なんだろう…(たぶん)。
さてさて…。
執念深さを手放す気がないので、毎年この季節になって里芋グラタンを作ると思い出すのが、神戸の飲食店での出来事。
このことは以前も記事にした。
そのときは、自分は透明人間だったんだ…みたいな結論づけをし、さらに里芋グラタンという料理レパートリーをものにしたのだから転んでもただでは起きなかったと「落ち」をつけて、一応おしまいにしたつもりだった。
しかし残念ながら、あのときの記憶は、今もあの棚から1ミリたりとも動かない。
そのときの記事はこちら
↓
自分があの夜の記憶を消さないでいる理由(たぶん自ら記憶が消えないように努めている気がするし、自分に都合がいいような記憶の改ざんをしないよう心掛けていると思う)を知りたくて、当時を振り返ってみた。
あのとき、相手からただただ私ひとりにだけに集中して向けられていた底意地の悪さ(というより悪意というべきものだった…)が放っていた空気感は、昨日のことのように思い出せる。
相手は私に対し一度も目を合わせてこなかったけれど、その顔つきは今でも目に浮かぶ。
当時その店に行くにあたり、クチコミまでは見ていなかった。
実は最近になって偶然目にしたクチコミサイトで、店の評価がめっちゃいいので驚いている。
しかし、そこは執念深い性格(笑)の私。
さらにじっくり検索してみたら、数は少ないもののかなり悪い評価もある。
その内容はやはり店主の接客態度に因るもの。数少なくても低評価のクチコミ内容のほとんどはおそらく本当のこと。
その理由をうまく言えないけれど、ああいう類のサイトでの高評価&低評価の文面からは、何となくその真偽が読み取れてしまう。
あのときの私はクチコミサイトに投稿しようとは思わなかったが、ここで2回もネタにしてしまったし、当時ブログの方にも書いている。クチコミ投稿したのと変わらない(笑)
クチコミってマイナス評価はできないのかな?
私の評価だと、あの店はマイナス5、否、それでも良すぎる(笑)
当時のブログ記事
↓
今回、過去のふたつの記事を読み返していて思い出したことがある。
食事後に支払いを済ませ2階のお店から降りたら、すぐのところにコンビニがあり、不愉快なことはアルコールで流すのがいちばんと、9%の缶酎ハイ500mlを2本買い、ホテルの部屋で2本全部飲み干したこと。
そして、飲みながらこれって酒で流せるようなことじゃないと思ったこと。
でも翌日は気持ちよく起床、ホテルの無料朝食もしっかり食べて、元町から京都まで電車を乗り継いで移動し、京都の町をぶらり散策したこと。
その次の日にはまたオールスタンディングライブに参加したこと。
さらにまたその翌日は遅い便だった高速バスの出発時間まで目いっぱい京都観光し、最後の夕食も美味しく食べたこと…等々。
つまり…あの店での出来事以外はぜ~んぶ楽しい思い出ばかり。
そして…今回初めて気がついたこと。
このときの旅の楽しい記憶と不愉快な記憶は連続した4日間の出来事なのに、自分の中では、それぞれがまったく違う記憶の「棚」に収まっていたこと。
記憶は不思議。
私は無意識に、両極端だった記憶(楽しいものと不愉快なもの)を切り離したらしい。
楽しい記憶はいつまでも残るものであり、一方、嫌な記憶は努めて忘れようともするし、努めなくても忘れてしまうことの方が多いのだけれど、このときの嫌な記憶は忘れるように努力もしていないし、むしろ逆。けっして忘れまいとしている。
最大級の悪意(苦笑…あくまで私にとっての)の人間が醸し出す、とても醜い(もちろんこれも私の個人的感想)表情を目の当たりにできるなんて、そう頻繁にはない貴重な体験。
もう古稀が近くなりそこそこ長い人生の中、これを含め過去に3回しか記憶がない他者が見せる悪意の表情はすべて同じだ、と今回初めて気がついている。
記憶の中の「お三方」と遭遇した時代も、彼らの性別も年齢もバラバラなのに、ものの見事に全員揃って、醜くて気持ちが悪い(私から見た感想…)薄ら笑いの顔。
これらの記憶が残っているのは「人の振り見て我が振り直せ」…かも。
私の中にも悪意というものは確かに存在する。
自分への戒めとして、この記憶棚は永久保存。
お三方それぞれに対しては「反面教師さん、ありがとう」…ということにしてさしあげます(笑)←超・上から目線ですまぬ(苦笑)
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