思い出
四国犬が人やペットの犬を噛んでしまったという先日のニュース。
その翌日だったかには、別の四国犬が逃げてしまったという報道も。
逃げてしまったワンコの方は無事に保護され、よかった、よかったなんだけれど…。
最初に報道された犬に噛まれて亡くなったペットの飼い主さんや、自分が噛まれた方、そして犬が苦手な方にはショックな出来事だろうと思う。
その後、犬の登録と狂犬病の予防接種は義務だというのに、噛んだ犬の飼い主がそれらを怠っていたということを知り唖然。
また、このことで意見を求められた動物の専門家の方の、四国犬はよく人に噛みつく犬種でペットにするような犬じゃないという発言には憤慨。
その特徴によっては、犬に慣れていない人が飼うのは避けた方がいい種類の犬がいることは知っている。
でも、同じ犬種であっても個体差があることも知っている。
人間ひとりひとり性格が違うように、犬もそれぞれ性格は違う。
今回のことでは、四国犬をひとくくりにしてペットにするような犬じゃないと断言する報道でいいのかな、と思った。
今の時代、12人もの人を噛んだということで、そういう情報を流すことが必要だと言われたら返す言葉もないのだけれど…。
実は、かなり昔だけれど、実家で四国犬を飼っていた。
普通にペットとして飼っていたうちの四国犬は人を噛んだことはない。
実家ではそれまでにも何頭か様々な犬種(血統書のある子もいたし、いわゆる雑種の子もいた)の子を飼ったけれど、「ろん」という名前のその四国犬(譲り受けたとき、彼の父犬は血統書付きで、母犬の両親のどちらかに血統書がなく、完全な純血種ではないとのことだった。わが家にはとってそんなことはまったく無問題だったが)の飼育は、特に難しいということはなかった。
つかの間の自由を求め、隙をついて脱走してしまうことはあったが、脱走したところで、「ろん」には飼い主以外の人間に興味がないようで、彼の方から人に近づくことはなかった。
それまでに飼ってきたワンコの中で、彼の賢さは群を抜いていた。
主張がはっきりしていて、空腹でも嫌いなものは食べない。近所の人に声をかけられても無視。おとなしいが愛想もない犬だと思われていた。
飼い主さんと散歩している犬や、顔見知りの犬猫にも自分からは近づかない。野良犬など相手から挑まれたときに応戦する程度。
その当時の私が住んでいた地域では、ペットは完全な放し飼いというわけではないものの、リードをつけずに散歩させる人も多かったし、飼い犬が自由にひとりで自宅周辺を散歩することもあった。猫も自由に家と外を行き来していた。
人間の子供と同じで、彼らは夕飯時にはそれぞれちゃんと家へ戻っていたことが今思えば不思議(笑)
今だったら考えられないけれど、ある意味いい時代だった。
「ろん」は飼い主である家族にも、しっぽを振って喜びを見せることが、ほぼなかった。
4人家族の飼い主たちということはきちんと認識しており、その4人の中では彼なりに決めた序列はあったようだけれど、それぞれの家族の言うことにはちゃんと従った。
うちの家へやってきたのは、「ろん」が3~4歳頃。ひょっとしたら5歳くらいだったのかもしれない。
今のように飼育し始めたらまずは動物病院へ、という時代ではなかったので、年齢はわからないまま。狂犬病ワクチン接種のときも、公民館での集団接種で流れ作業だったから、獣医さんに聞いたりしていない。
当時、犬を購入する人はもちろんいたけれど、知り合いの家で生まれた仔犬をもらったり、捨て犬を拾ってきたりしてペットにする人もまだまだ多かった時代。うちも犬を飼うときは、概ねそうだった。
先代犬が亡くなって2年が過ぎた頃に、彼はうちへやってきた。犬好き一家だったので、やっぱりそろそろ犬と暮らしたいと、両親があちこちへ声をかけていた。1歳までの黒い犬が欲しいということと、犬種にこだわりはないということを伝えていた。
黒い犬にこだわったのは、亡くなった先代ワンコが白い子だったから。見た目が似ていたらどうしても比べてしまう。
今のように携帯電話どころか家庭用の固定電話すらまだ普及していなかった時代。
あの頃の連絡方法はどうしていたのだろう?
我が家も、「ろん」を迎えたときはまだ家の電話はなかった。
知り合いの知り合いのそのまた知り合いなんていう人から犬を譲ってもらううのは、どのような連絡方法だったのか?どうやって彼がうちの家へ来ることになったのか?
それについて私は詳しくは知らない。
両親が色々な人に黒い仔犬が欲しいとあちこちに声をかけまくっていたおかげで、ある夜うちにやってきたのは、両掌に乗るくらいの真っ黒な仔犬。目は開いていたけれど、まだよく見えていない様子だった。まだ母犬から離していい時期ではないことは、当時高校生の私にでもわかったが、その仔犬を連れてきた人は飼い主さんではなく、仔犬が何匹も生まれて困っていた飼い主から人づてに頼まれた、犬にはあまり詳しくない善意の人。うちの両親は内心ではこんな小さいうちに母犬から離すなんて、なんという飼い主なんだ…と思ったようだったが、善意の人にお礼を言い仔犬を引き取った。
そのときは、とにかく母犬から無理やりに離されてしまった仔犬を何とか生き延びさせなきゃという思いのみ。
善意の人が帰った後のその夜の我が家は大騒ぎ。
犬は外飼いが当たり前の時代だったけれど、まさかこんな小さな仔犬を夜に外へ出すわけにはいかない。
とりあえずの飼育場所を考えたり、母犬からお乳をもらえないので、何を与えるかを考えたり、身体を包む布を探したり…。
今みたいに夜でもコンビニに行けば、何でも手に入るという時代ではなかった。
結局、その夜はうちの母が仔犬を懐に抱いて寝た(笑)と記憶している。
翌日、学校から帰ると母がちょうど庭に出ていた。
私が「ただいま、犬は?」と聞いたときの母の表情は今でも目に浮かぶ。前夜の仔犬の名前はまだ決まっていなかった。
母はいたずらっぽく笑って「犬ならそこにいるよ」…と。
ちょうど玄関横のテラスに物入や作業台として使っていた古机があり、それに隠れて見えなかったが、母の指さす方を覗くと前夜の仔犬のことしか頭になかった私の目に飛び込んできたのは、黒っぽい毛並みで優れた容姿の中型犬。
予想していない状況に私は驚いたけれど、相手の犬も緊張し、私を警戒しているのがわかった。警戒しながら私を観察している様子も見て取れた。
一方私も、素早くその犬を観察しながら、このワンコのこの気高さは何なんだ…と思った。私がそれまで知っている「犬」とは全然別物だった。
姿はどう見ても「犬」なんだけれど、らしくない雰囲気が漂っていた。
ことの次第がわからないながらも、私は「犬」そのものには慣れているし、母がこの状況をめっちゃおもしろがっている様子でもあったので「どしたんこの犬? すごくきれいな犬やね。触っても怒らない? なんという名前?」と矢継ぎ早に質問。
母は「黒い犬がまた来たんよ。この子の名前はろん。連れてきた人は1歳になったばかりと言ったけれど、おとなしいからなでても大丈夫だよ。」と笑う。
私も母に「この犬、かなり落ち着いているから1歳ということはない気はするけれど…」と言い、今度はろんに向かって「ろん君、私はこの家の〇〇ちゃんだよ、よろしくね」と名乗り、初対面の挨拶。そして耳の後ろあたりをそっとなでた。
「ろん」は触られる瞬間、ほんの少しばかりびくっとしたが、嫌がる様子はなく、そのままずっと私を見つめながら、その後の私と母の会話に聞き耳を立て、この状況を彼なりに把握しようとしているようだった(笑)
私はその後、昨夜の仔犬が家の中ですやすや眠っているのを確認してから、「ろん」を連れて散歩。
散歩前に、母が「さっきその辺をちょっとだけ一緒に歩いたけど、この子はかなり力が強いよ。でもこちらのペースをわかって歩いてくれるから大丈夫。賢い子だわ。知らない人にも吠えないし、他の犬を見かけても大きく興奮もしなかったけれど、とりあえず他の犬猫に出会ったときだけは気をつけてね。おとなしくても賢くても、やっぱり犬は犬だからね…」と言った。
子供の頃から家には犬がいる生活だったけれど、私が両親から強く言われてきたのは、犬は賢い生き物だけれど、犬は人間じゃない。犬はあくまで犬であってけっして野生を失ってはいないからそれを忘れないこと…だった。
そのときの、私と「ろん」との初めての散歩は、突然見知らぬ家へ連れて来られた「ろん」が猫をかぶって(笑)野生のかけらも見せず、超・お利口さんにしていたから何事もなく無事に終わった。
それからもしばらくの間は「ろん」は猫をかぶったまま、私たちに野生のかけらも見せてはいない(笑)
突然家に2匹の犬…。
電話もない時代、母が昼間ひとりのときに、黒い仔犬を欲しいとお願いしていた人が「ろん」を連れた飼い主と一緒に突然やってきたことでそうなってしまったということだった。
母は昨日すでに犬をもらってしまったと相手側に伝えたものの、「ろん」の飼い主に、家に男手がいなくなり自分ひとりだけでは力が強いこの犬を飼うのが難しくなったのだと強く頼みこまれ、飼い主は「ろん」を押し付けるように帰っていったそう。
母は強引に押し付けられたと言ったけれど、私にはもうそのときの母は、ろんも昨夜の仔犬も手放さないと思っている様子に思えた。
犬好き一家でも、今まで2頭飼いをしたことがなく、父が無理だと言えば、「ろん」は元の飼い主に返されるはずだったが、母と同じく無類の犬好きの父が嫌だというはずもなかった。
今思えば、「ろん」は必死だったと思う。
賢い犬だったから、この日、自分がどこか知らない場所へ連れて行かれることはわかって元の家を出たはず。
ところが到着した家にはなぜか先着(笑)の仔犬がいた。
「ろん」が思ったのは、たぶんこういうことかな……。
『飼い主さんは自分からは離れようとした。自分の帰る場所はもうない。連れて来られたこの家は先に来た仔犬がいたけれど、幸いなことにこの家族は全員犬好きみたいだ。自分は仔犬のかわいさには勝てないけれど、気に入ってもらえば自分はきっとこの家で生きてゆける。だって家族全員、最初に僕を見たとき、きれいな犬だとか賢そうな犬だとか言ってくれたもん…』
名前のなかった仔犬は、めっちゃ安直だったけれど「ろん」との釣り合いを考えて「くろ」になった。
「ろん」は無駄吠えもしないし、飼い犬としてやってはいけないこともよくわかっていて、そういうしつけはされていたようだったが、おすわりやお手やおかわりや待てなど食事の際のマナー(笑)はまったく知らなかった。
それまでの犬も私が食事を与えることが多く、それらのことを教えてきたので、今回も「くろ」に教える際に「ろん」も一緒に教えることにした。
父も「ろん」は1歳どころか、たぶん3歳はゆうに超えているだろうと思ったらしい。もう完全な成犬だから今さらおすわりは覚えないだろうと言った。
でも、「ろん」は必死だったし賢くもあった。私の言うことを理解しようと一生懸命。
10日ほどで最低限のマナー(あくまでも飼い主側の希望に過ぎないのだけれど)は身につけてくれた。
一方の「くろ」はお世辞にも賢いワンコとは言えなかったけれど、愛嬌だけは抜群。成長すると見た目は何のミックスなのかわからないくらい謎の姿になった。テリア系のような気はしたが、性格はその種とは違って非常に素直。そして過度の臆病者。食いしん坊で食べ物には執着した。
賢くはないのだけれど、自分が「ろん」のように賢くないことをよくわかっていて、そういう意味での賢さはあった(笑)
家に犬が2匹いる生活になって、約1ヶ月が過ぎた頃。
なんと「ろん」がいなくなった。
力の強さは半端ない犬だったから、気をつけていたつもりだったのだけれど…。何らかの理由でリードごと引っ張ってみたら、首輪の方が抜けて自由の身になったらしい。
家族全員が「ろん」は元の飼い主の家へ戻ったと思った。犬についてはそれなりの知識があり、その帰巣本能についてはよく知っていた。
元の飼い主の家は我が家から車で40~50分くらいの場所。そこそこの距離はあるけれど、「ろん」の体力や賢さから考えるとじゅうぶん帰ることができる。
最初は遠慮がちな様子だったけど、ずいぶん懐いてきたとみんな思っていただけにがっかりだった。
母だけは「そのうち飼い主さんが連れてくるんじゃない? あの人はろんのことがあまり可愛いとは思っていなかった様子だったし、とにかく一刻も早く、ろんを手放したかったのだから…」とけっこうのん気だった。
ある意味、母の言うとおりだった。
「ろん」はその日の夕方、めっちゃ満足した様子で、自らうちの家へ戻ってきた。どこへ行ってたの?と聞いてももちろん答えてはくれないけれど、今日は一日自由に遊べて楽しかったなあという様子で「くろ」の待つ犬小屋の方へ向かい、水を飲み、僕の帰る家はここなんですけど、それが何か?…とでも言いたげな顔をして私たちを見上げていた。
その後も、「ろん」の革製の首輪を噛むのが好きな「くろ」のおかげで、首輪が外れ自由の身になった「ろん」は何度か脱走。
また、父が自転車で2匹を連れ、遊ばせようと少し遠くの原っぱに行った際には、「くろ」の方は父の姿が見えなくなっても絶対に自転車のそばで父を待っているのに、「ろん」は気がつけばどこかへ行ってしまい、父親が「くろ」だけ連れて帰ってくることが多かった。そういうとき「ろん」の方は大体夕刻になったらご機嫌な様子で帰ってくるのだった。どこへ行っていたのかはわからないけれど、基本的にはひとり(1匹)でいることが好きだったようなので、つかのまの自由を楽しみ、我々にはあまり見せない本来の野生の姿に戻っていたのかもしれない。
身体を洗われるのが大嫌いで、シャンプーした後は、散歩に出るとこの時ばかりはこちらの制止を振り切って草むらに入り込み、草のにおいを身体中にまとわせたり、あるいは魚屋さんの前で背中を擦り付けていた。魚屋さんの前は暗渠になっていて、その場所で魚が入っていたトロ箱を水で流していたから、身体を擦り付けると自然に自分の身体に魚のにおいが移るということを知っていた。身体を洗うときに強い香りの石鹸は使っていなかったけど、「ろん」にしてみたら石鹸のにおいの身体よりは草や魚のにおいのする身体の方が自然だったのだろう。
飼い主側からすると、草はともかく、魚のにおいだけは勘弁して欲しかったが、自由にさせた。
外飼いだからできたこと(笑)
彼ら2匹がうちで暮らすようになって、1年と少し経った頃、私は進学で一時期家を離れたことがある。
数か月後、夏休みで帰省したとき「くろ」はお尻ごと尻尾を振りながら飛びついてきて大喜び。
一方の「ろん」は最初は窺うように「くろ」と私の再会の様子を見ているだけ。やがて「くろ」と私が離れたのを見計らったようにそろっと「ろん」が近づいてきて、なんと尻尾を一度だけ揺らした。それは振ったというより揺らしてみたというふうだったが、これが「ろん」の、私の帰宅への歓迎の仕草だと悟ったとたん、涙が出た。それを見た「ろん」はさらに近寄ってきて私の涙をペロッと舐めた。そのしぐさに涙が止まらなくなると、その涙すべてを舐め始めた。
今まで顔を舐めてくることは一度もなかったし、喜びを表現するのに尻尾を使う(笑)ということもなかった「ろん」の歴史的瞬間だった(笑)
それよりも前から「ろん」と私の間にはふたりだけの秘密の遊びがあった。
成犬なのに「ろん」は甘噛み遊びが大好き。私にそれをねだるときは、まず指を一本ずつ気長に舐めてくる。それが合図。私がいいよと言うと、手全体を甘噛みし始める。母がそれを知ったときはあきれていたが、「ろん」の賢さ、そして「ろん」と私との間にあるお互いの信頼感もじゅうぶんわかってくれていたので黙認。
それでも犬は犬。甘噛み中に「ろん」の興奮が大きくなることはあった。けっして歯は立てていないのだけれど、噛む度合いが強くなってしまうと、「ろん」もそれに気づき、はっと我に返る…みたいなことはけっこうあった。我に返った「ろん」は、強めに嚙んじゃったから今日の遊びはもうおしまいですかね?と私の表情を読む。私が怒っていないことを確認すると、また指を一本ずつ舐めることから仕切り直し。
この遊びは「ろん」の晩年まで続いた。
結局、何歳だったのか最後までわからなかったけれど、「ろん」が我が家で暮らしたのは6年ほど。
若い「くろ」の方が先にいなくなった。「くろ」は父がいつもの原っぱでリードから外した後、なぜかいなくなった。いなくなった後、似た犬があの辺りにいたと聞くたびに家族総出で探しに行ったけれど、結局見つからなかった。「くろ」は、自分には「ろん」みたいな帰巣能力がないことをよくわかっていて、けっして父の自転車から離れることがなかったというのに…。食べ物への執着心が強かったから、食べ物に釣られて犬好きの人について行ったのかもしれない。「ろん」とは真逆で人懐こい子だったから、そこで可愛がってもらっていることを願うのみだった。
一方「ろん」の晩年は、口や目の周辺の毛まで白くなり、あれほど力強く歩いていた子が、散歩途中でパタッと立ち止まり、しばらく休むという意思表示もするようになった。そういうときでも少し休めば普通にスタスタ歩いていたから、当時はそこまで弱ってきているとは思っていなかったが、今振り返ると加齢によって少しずつ体力が落ちていたのだろう。
もし「ろん」が我が家に来たのが3歳なら9歳まで生きたということだし、5歳だったとしたら11歳まで生きたのだから、あの当時の犬としてはかなり長生きだった。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?