文学が現代に存在する意味/小説が時代によって批評・淘汰される事に思う
昨日書いたnoteの記事。若い頃読んでやたらと感銘を受けた小説を読み返してみたら、全然感動しないどころか、どうにもチグハグ感ばかりが目立っちゃって途中で投げ出したくなったって話💦
その事について書いたら、何人かの方にコメントをいただいた。皆さん同じような経験をお持ちらしい。
曰く「若い頃読んで好きだった小説を読み返してみたら、あれっ?って言う感じだった」とか「若い頃大好きだった作家さんの小説は今読み返したら、昭和のギラギラ感が……」とか。皆さん長い年月を経てから読み返しての違和感をおっしゃってました。やっぱり〜そう言う経験、割とあるんですね。あとは「視力の問題でマンガさえ吹き出しのセリフがよく読めない」とか(笑)それ、みけ子も毎日痛感しているところです❗️
80年代初頭だろうか、大ヒットして社会的にも注目された「なんとなくクリスタル」と言う小説があった。後に政治家にもなった、田中康夫氏が書いた小説だ。当時の流行や若者文化が細かく描写されていたみたいだ。多分あの本も今読んだら噴飯ものであるに違いない💦 みけ子は結局流行っていた当時から現在に至るまで、読んだことはない。だから知らないんだけど。その頃は意図的に小説を読むのは避けていた。文学から妙な影響を受けたくなかったから。
出版された本が社会に影響を与える。影響力を持つ。それってものを書く人にとっては常に夢想している事なんじゃないだろうか。
仙台の書店員さんが、芥川賞を受賞した。素晴らしい快挙です♪ その書店が入ったビルには大きな写真入りポスター、出身校には横断幕も出る❣️すごいっ∑(゚Д゚)
大騒ぎするのも当然だ。宮城県や仙台在住者からそんな大きな文学賞を受賞した人などかつて居なかったからね。
仙台では受賞が決まった直後から、地元のTV番組は佐藤氏のインタビューをこぞって放送していた。インタビューはよく見ていないけど、書店員さんをしながらよくぞ受賞されました❣️って思う。この凄さは文学界や書店業界をよく知らないみけ子でさえ分かるよ。
文字でさまざまなことを表現する本や雑誌のみならず、メディアは今や多岐に渡る。TVやラジオ、インターネット上のブログとか。動画やネットラジオなんかも注目されている。そんな現代において、文学が持つ意味を考えてしまう。
言葉を綴り、表現する。その言葉の表現が受け取り手に何らかの影響を与える。ひとりではなく多数の受け手が影響を受けた時、文学が社会に影響を与えたと言うことになる。現代社会で文学は社会に影響を与えられるのか。
芥川賞や直木賞が発表される度に話題になり、その本が売れる。だけど有名な賞を受賞したからって、今はそこまで影響力はない気がするのだが。ちょっとした話題の一つ、と言った程度な感じ。
時代の雰囲気を濃厚に纏った小説だと、その時その場では大きな共感を得られたとしても、その後で時代の空気か一変した後にまで影響力を及ぼすか、というとそんな事はないだろう。
自分は本は好きだけど、それほど小説は読まない。これまでもそうだったし、これから先もきっとそれは変わらないと思う。TVなどで文学賞について報じられても「ふぅん、そうなのね」と情報の一つとして目の前を流れていってお終いだと思う。
だけど、今回の佐藤氏のこの「荒地の家族」は読もうと思っている。だって、週に一度勤務しているパート先に本があるんだもの。今はちょっとみけ子は忙しいけれど。
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