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上手くいかないこと、イヤなことにぶつかると人は必死に頭を働かせる


フォローしているnoterさんに井上ミカさんという方がいる。その方が先日書いていた記事にこんな事が書いてあった。

「自分と違う人」と出会い、いいこともいやなことも経験することは私はいくつになっても大切だと思う。
何が大切なのかと言うと、身体機能の維持に大切だと思うのだ。本能的に、嫌なことに対しては人間は頭を働かせようとする。
だから、デイサービスでは、もちろん笑いも喜びもあるし、いいことをたくさん経験して帰ってほしいけれど、人間関係でいやなことやトラブルがあること自体は仕方がないし、それをまったくゼロにする必要もないのかなとも思う。

井上ミカさんの9/22のnote記事より

井上ミカさんはフリーランスの看護師さんで、kindle作家としても多数の著書を著している方。様々な職場で看護師さんとしての経験があり、その仕事を通じて感じたことや考えたことを発信されている。働き方に関しても気づくことがたくさん書かれており、読んでいるだけで刺激を受けるし勉強になる。

話を戻して「イヤなことにぶつかって、頭を働かせようとする」件。自分自身はどうなのかと考える。民泊清掃の仕事は、みけ子は基本一人で仕事をしているし、お手伝いに入ってくれた人とも掃除を担当する部屋はそれぞれなので、顔を突き合わせて会話することは少なめだ。自分のやり方で自由にやっても最終的に時間内に間違いなく掃除を済ませれば問題ないので、そのやり方は自分にはぴったりだと思っている。

みけ子は嫌な人は徹底してイヤだ。自分の価値観を押し付けようとする人、自分のやり方を強要したり、理不尽な事を平気で言ったり行ったりする人。筋の通らない事ばかり言う人。感情的になって怒鳴る人。そういう人と仕事で接触しなければならないストレスは極力避けたいと思う方だ。嫌いやイヤという気持ち。本能的にイヤと思うことで頭が働くならば、嫌なことを避けようとする自分の態度ってどうなのか、と思ってしまった。

民泊清掃ではあまり人と顔を付き合わせる事は無くとも、アウト後のメチャクチャに汚された部屋にぶつかることはしょっちゅうある。これが毎回ならば、人によっては心が折れてしまいそうな現場だ。そんな場所に一人で掃除に入り、最初から最後まで自分一人で部屋を仕上げる事になる。

人と直接接しての「上手く行かない事、イヤな事」ではないけれども、これってかなりな「イヤな事」だよね。その(ガマン出来ないほどではないけど)「イヤな事」は、日常生活に多少は必要な事って解釈すれば良いんだろうか?

本来ならば、人は人と接して相手を自分の鏡とするのがベストなのだと思う。生身の人間と会話のキャッチボールをし、相手の表情や言葉使いを見聞きしながら自分も言葉を発する。それってものすごく高度な頭脳の動きなのだろう。

人と接するのが苦手とかばかり言わず、顔を見て相手と会話し表情を読んで、相手に相応しい内容の会話を選び、そして自分も会話を楽しむ。そんな時間がすごく大切なんだろうな、と考えた。

記事を引用させていただいた井上ミカさん、ありがとうございました♬




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