見た目を気にせずに実用性ばかりを重要視する/だから一流になれない
(勝手な持論です。合わない方はスルーして下さいね)
地元仙台で通り掛かる度に目障りで気になっている場所がある。仙台市中心部あたりから長町方面に向かう国道286号線の途中、愛宕神社の真下のここ。
カーブがややきつくて事故が多発している場所らしい。だからこその注意喚起なのだろう。ストリートビューで見るとこんな感じ↓
聞けばこの場所のこの注意書き、書かれて30〜40年近く経っているらしい。
事故になるよりいい、目障りなのは目に入り注意していることに他ならない。注目されるのは良いこと、等々。この醜悪なドデカイ注意喚起を醜いと思わない人が多く、別に何も感じないという人がいる事に唖然とする。
だからと言ってこの目立つ場所、この目障りで醜い注意書きをずっとこのままにするのか。この注意書きを書いてどれくらい事故が減少したのか。(または減っていないのか)本当に効果があるというならばちゃんと検証する時期だよね。
色んな意見は理解はするけどね、この醜い注意書き、こんなこと人がたくさん集まる有名な観光地ならこんな目障りで見苦しいことやりますか?!仙台は観光客の来訪も当然当てこんでいるのでしょ?だったらこれを野放しにしちゃダメだわ。ステキな街だった、と他所から来た人の思いを一瞬でぶち壊す破壊力よ、これ。
今はもう「交通戦争」とか言われた時代じゃない。時代の変化も感じ取って欲しい。3.40年前の人が始めたことを深く考慮もせずに続けるの、もうそろそろ止めてほしい。
キレイとか美しいは、目につく素敵な物を増やして行く事も重要ではある。だけど同時に目障りで醜い物を根気よく潰して行く作業も行わないと片手落ちだ。必要性の低いものを撤去してスッキリさせることも必須なのだ。それを続けるとある時オセロが全部ひっくり返るように、街の中が美しく魅力的に変化しているのだ。
例えば表題の定禅寺通りのけやき並木の散策路。見た人の大多数は「素敵ね、気持ちよさそうな場所だわ」と思うのではないだろうか。私もそう思う。背の高い緑のけやきの木の緑陰が見る人、通り掛かる人に心地よさをもたらす。これが「好感度が増す景観のプラスポイント」だ。しかし仮にこの場所の通り沿いにあの黄色いどデカい注意書きがあったらどうか。その調和の取れない醜さに目を背けたくなる人が大多数なのではないかと思う。
見た目を気にしない、実用性ばかりを重視する。他地域の良い例に学ばない。必要性が低いのに前例重視でいつまでも撤去しない。それらの美意識の低さ。行政がこれでは良い街になることなどないよ。
こんな醜悪な注意書き、いつまで放置するのか。だから仙台は東北随一の都市だけど一流になれないのよ。