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不在という名の酒アブサン#02

とりとめもなく重なっていくイメージの断片は、その一つ一つのパーツがかけ離れて居ればいるほど・・それが因果以外のもので切れ目なく繋がった時、ヒトはそこに何か強い隠喩的な意味を見出してしまうものらしい。
まるで赤ん坊が、三つの黒い点を、ヒトの・・母の顔のように思いこむように。ヒトは直感的に意味を見つけ出してしまうものらしい。

クリストフ・バタイユの「アブサン・聖なる酒の幻」三部作のひとつに「アロエALOÈ」というオレンジ色の女の話が出てくる。
昔パタゴニアには巨人Pathagoniがいた。あるとき、その巨人たちの浜に、何処からかアロエという女が流れてきた。アロエは波打ち際で踊るようになった。巨人たちは、そのアロエに魅せられた。しかしアロエは嫉妬した女たちに殺されてしまった。
この話を語る「アブサン造りのジョゼ」は、この話をこう〆る「だから、詩人の言葉ではタンゴとはオレンジ色のことなんだ」と。
僕らは、まるで放り出されるように「アブサン造りのジョゼ」の語る神話から、唐突に「オレンジ色・タンゴ」という言葉で引き千切られる。
「アブサン造りのジョゼ」にとって、重要なのは物語の経緯ではなく「オレンジ色」なのか。・・聞き手の僕らは不安になる。しかし同時に強い幻想の色彩を感じるのだ。「オレンジ色」とタンゴとパタゴニアの巨人Pathagoniそしてアロエに・・
情動的な色彩の幻想を感じるのだ。

「アブサン・聖なる酒の幻」はクリストフ・バタイユが21歳の時に書いた小説だ。彼の小説の通奏低音は、こうした瞑想的な"理"では繋がらない瞑想的な情念だ。その"未説明性"に、聞き手である僕らは不安を抱き、幻想を自己保繕してしまうのである。まるで・・ただの三角形に並んだ三つの黒い沁みに、ヒトの顔を見出すように・・

ジョージ・フレイザーは「感染呪術contagious magic」という言葉を多用した。
ヒトは「一度接触したモノあるいは、はじめは一つだったモノ同士は、離れていても必ず相互作用を起こす」と思い込むという。
類感呪術もそうだ。類似したものは互いに影響し合うとする。
「共感性」は、ヒトなるものの本質である・・と。

天気が良いからね。今日は丸の内ジョエルロブションの外の席にいる。目の前にあるのは、東京で一番マトモなガレットとコーヒー。
手にしているのは「アブサン・聖なる酒の幻」・・21歳の若い魂が残した「ザルツブルグの小枝」だ。
クリストフ・バタイユは、この取り留めない断片のような物語に、簡潔でリズミカルな言霊で、"理"ではない"情なる意味"を吹き込んでいる。
僕は蜃気楼のように、モンマルトルの丘の上にある軒を並べた、色褪せた原色の燻んだカフェを幻視した。

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勝鬨美樹
無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました