マクルーハンの「機械の花嫁」
60のとき、大いなる決断で断捨離して、僕の周りに澱のようにへばり付いていた本やレコードや、訳わからん収集物を捨て去って10年近く経ったわけだけど。
それでも60年に渡る収集癖は大したもンで(笑)実家へ戻って、押入れをかき回していると往時の残骸がボロボロと出てくる。そんな残滓の中にマーシャル・マクルハーンの「機械の花嫁」を見つけた。すごいなぁ。この本を買ったのは50年近く前だ。そんなのがポロっと出てくるから、実家というものの空恐ろしさを感じる。あ。余談だけど・・この間も東陽小学校時代の通信簿が出てきた。まあこれがアヒルさんの行列(2ばっかり)で酷いもんだった。先生の一言も酷評でね。なんとも感慨深かったね。転校生で合いの子で、徹底的に皆の餌食になって、毎日朝起きることが、生きてくことが嫌で嫌で仕方なかった小学生時代を鮮々と思い出した。でも・・あのひたすら執拗に叩かれるボディブローが無かったら、今の僕というアイデンティティは存在しなかったわけだ。
あ。それでマーシャル・マクルハーンの「機械の花嫁」
副題を見ると"Folklore of Industrial Man"とある。へぇ、インダストリアルマンの民俗学ねぇ。なるほどなぁ。
これを初めて手にしたときは「機械の花嫁」という素敵なタイトルに魅せられて、副題なんかまったく気にもしなかった。
それで。ドテッと座ってチョロチョロと読み始めた。
・・んんん。この本って出版されたのが1951年。僕が生まれた年だ。
そろそろメディアが花開き始めるころで、メディアが人の「ものの見方」を大きく変えてしまうだろうという危惧を提示してる。マクルハーン40歳。
それで。読んでるうちに思った。
マクルハーンは、溢れかえる情報がヒトを辺境の地に追いやり、孤独にさせていくことを見事に予見してるんだね。スマホというガラスの箱を持って歩いて、googleとwikiと、そしてSNSだけで呼吸するヒトたちが主流になる"今"を、彼は見つめている。
で。唐突にワイアード誌のクライブ・トンプソンの言葉を思い出した。
「シリコンメモリーによる完璧な記憶は思考にとっての絶大な恩恵になる」
この彼のセリフを聞いたとき、僕は猛烈な違和感を感じた。
それって、知恵さえも、ただの情報の一部にさせてしまうんじゃないの・・と。
知恵はノウハウじゃない。
情報は道具だけど、知恵は道具ではない。
クライブ・トンプソンの言葉の言葉の高慢さに、僕はそう思ったんだ。
あ~そうかぁ。僕があの時、猛烈な違和感を感じたのは、高校時代に「機械の花嫁」に出会っていたからなんだなぁ。そう思った。