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夫婦で歩くプロヴァンス歴史散歩#16/シャトーヌフ・デ・パプ06

https://www.youtube.com/watch?v=FOocBUxqniw

朝食後、少し休憩した後、城を出た。タクシーで上って来た道をゆっくりと散策しながら下りた。周囲はすべて葡萄畑だ。
「全部ホテルの畑かしら?」
「ん。だろうな・これだけ光量が有れば豊かな葡萄が出来る」
「旧い畑なのかしら?」
「見た限り樹齢は高いものばかりだな。これだけ斜面があると耕作は大変だろうな・・見てごらん、土を」
僕は葡萄の木の足許を指した。
「土・土じゃないわ!小石」
「ん。小石の中を縫って育つのがシャトーヌフ・デ・パプの特徴だ」
「小石だけの畑でも葡萄は育つの?」
「ん。育つ。ジンファンデルなんぞは砂漠の中で育つ。むしろ厳しい環境で育った葡萄の方が、良いワインを産み出す。人間と一緒さ。ヌルマっこい環境で育った奴は、ヌルマっこい奴になる。人と同じで、艱難辛苦がワインを育てるのさ」
見て歩くと、一部斜面が崩れて崖になっているところがあった。断面はすべてこぶし大の石だった。
「葡萄の根は、この石の間を縫って、水を求めて垂直に降りていくんだ。そして石から無数のミネラルを吸い込む。それが葡萄の実に集まるんだ」
僕は、ちいさな石を選んで口に含んだ。
「ん。シャトーヌフ・デ・パプの味がする」
「ほんと?」
「なめてみろ」
「嫌!」

「この辺は採石場だったんだ。葡萄を植えるようになったのは比較的後だ。教皇庁がバチカンから越してきた前後からだ。
この辺りの古名はカストロ・ノボだと話したろ? それが採石場が沢山出来たことで、呼称が変わったんだ。1213年に残された史料ではカストロノヴム カルチェナリウムCastronovo CaussornerioあるいはCastrum Novum Casaneriiと呼ばれている。カルセルニエCalcereは石灰窟のことな。そこにアヴィニョンへバチカンから教皇庁が移転してきたわけだ。それでこの辺りはChâteauneuf-Casanerii-du-Papeと呼ばれるようになったわけさ」
「あら、カルセニェのおまけつきなの?」
「ん。でもそれは通称でね。正式名はCastronovo Caussornerioだった。Châteauneuf-du-Papeに変更になったのは1893年だよ。AOC論争華やかりしころだ。実は原産地呼称法AOCを法整備させたのは、この地域からなんだ。まあそれだけ教皇庁絡みのそっくりさんが多かったんだろうな。教皇庁がバチカンに帰っても、Châteauneuf-du-Papeのワインは教皇庁御用達としてずっと指定されていたからな。それに肖って怪しい奴らは多かったんだろう」
そんな話をしながら・・およそ15分くらいで丘を下りて門まで達した。門はD17Rte de Sorguesに繋がっている。
「村は右の方へ歩いた方だ」
「みえないけど・・」
「わりと歩く」


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勝鬨美樹
無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました