独立記念日を想いながら01/英仏の近親憎悪について
500年に渡る英国・フランス両国間に長く続いた諍いは、端的に言うならば、プランタジネット家とヴァロワ家という王族同士の近親憎悪と覇権争いであり、同時にキリスト教徒間のカトリックと非カトリックの・・これもまた近親憎悪と覇権争いでした。
こう捉えてみると見てみると、両者の長い憎しみあいの本質が、極めて明確に理解できるのではないか。僕はそう思ってしまいます。
このプランタジネット家とヴァロワ家の憎しみあいですが、とても面白い傾向があります。前者英国王族が女系王であり、後者フランス王族は男系王族です。この伝統は、今でも変わらないのです。(フランスにも相変わらず王族は存在します。統治権は持っていないが、利権は持っています)
キリスト教徒間のカトリックと非カトリックの憎しみあいですが、これは英国国内におけるヘンリー8世の英国国教の徹底的な布令が大きな原因です。しかし、その遠因はやはりカトリック支配の低迷に有ったといえるのではないでしょうか。フランス国王は、教会の絶対的支配を嫌い、カトリックに対して、その勢力を去勢化する政策をとり続けていました。ローマ法王の「アヴィニョン捕囚」は、その典型例です。
教会による「神の国の支配」から、王と荘園領主による「国の支配」へ、時代が変わろうとしていました。英国国教の布令は、その狭間を突いたものだったのです。云ってみれば・・英国国教こそ、王が教皇になってしまうという、宗教と政治の一体化。ファイナル・ソリューションだったわけです。
新世界。とくにアメリカ大陸における諍いの最も大きな原因は、このキリスト教徒間のカトリックと非カトリックの憎しみあいだと僕は思います。そしてその背景にあるのは、大航海時代の覇権抗争です。英国国教徒である英国が、強い力を蓄えて、その勢力を伸ばし始めたからです。
メキシコから北アメリカ西海岸を支配したスペイン人はカトリックであり、メキシコ湾北岸から北西部を実効支配したフランス人もカトリックでした。比して、東海岸に入植した英国人は、早い時期から第三勢力である非英国国教徒・つまり非カトリック新派に占められていた。つまり、北アメリカ東海岸で勃発した独立戦争は、非カトリックではあるが非英国国教徒であるピューリタン(清教徒)を利用した・・カトリックと非カトリックである英国国教との間の代理戦争だったともいえるのです。
実はですね、ただ一度も英仏のいさかいは、英国本土で行われていません。当時、英国はただの辺境の地でしかなかった。英仏の交戦は、常にフランス国内あるいは代理戦争的な新世界での諍いに終始したのです。面白いですね。