ジンファンデルの話01
ジンファンデルの話をします。
ジンファンデルはどこからアメリカへ来たか?という話です。
カルフォルニアのジンファンデルも、イタリアのプリミティーヴォも、原種は東欧に有ったプリビドラッグPribidragと呼ばれていた葡萄の木であることは間違いないようです。クロアチアに現存する同種はツェルリェナック・カシュテランスキーCrljenak Kastelanskiと呼ばれています。今回のワイン会で飲んで頂くのこれです。
残念ながら東欧に広く分布していたと云われるプリビドラッグPribidragは、19世紀後半から始まったフィロキセラ害によって絶滅し、現在はまったく残っていません。20世紀後半から大きなトレンドとして始まった葡萄の木の系統樹についての徹底的調査が、もしクロアチアでCrljenak Kastelanskiを発見していなかったら・・きっとジンファンデルの祖形は完全に死に絶えていたかもしれません。
発見は2001年、クロアチア・ダル...マチア地方海岸沿いの小さな農園でされました。そのときCrljenak Kastelanskiは、すでにもうたった9本しか残っていなかったのです。
実はかなり早い時期から、様々な文献調査の結果、カルフォルニアのジンファンデルも、イタリアのプリミティーヴォも、出先は東欧だろうと云われていました。そしてそれはプラバック・マリPlavac Maliであろうとも云われていた。
プラバック・マリも寒冷種であり、結実が早く多産な葡萄です。味もジンファンデルに近い。
しかし前世紀後半から技術的に急伸したDNA検査法によって、プラバック・マリ=ジンファンデル説は一蹴されてしまいました。プラバック・マリは、"プリビドラッグ"と呼ばれていた東欧種とアドリア海のソルナ島に自生していた地元種の混成であることが判ってしまったのです。
カルフォルニアのジンファンデルも、イタリアのプリミティーヴォにも、ソルナ島の葡萄の"血"は混ざっていない。混ざる前の"片親"の子です。
このジンファンデルのルーツ探しに努力したのはUC.Davisのキャロル・メレディスCarole P.Meredith教授でした。教授はザグレブ大学の協力を得てアドリア海東海岸の果樹園を丹念に調査しました。そしてカシュテラKastelaという小さな町の果樹園でCrljenak Kastelanskiを発見したのです。Kastelaは、クロアチアで二番目に大きい街スプリットSplitのすぐ北に有る町です。
ところで。Crljenak Kastelanskiという名前ですが、"ツェルリェナックCrljenak"は「赤い葡萄」という現地語だそうです。そして
"カシュテランスキーKastelanski"は、この葡萄が発見された町カシュテラKastelaから来ていると云います。
ああ。キャロル・メレディスCarole P.Meredith教授について触れないと、話の筋が見えないですね。
教授はカルフォルニア大・ディヴィス校にある醸造学の先生です。同校はナパバレーにおけるワインの発展に大きく貢献する研究を多数生み出したところです。
メレディス教授が、ジンファンデルの出自に大きく興味を持ったのは、グルギッチヒルズ・ワイナリーの創立者でクロアチア出身のMiljenko“Mike”Grgichが、彼に調査を依頼したからです。依頼は1996年にされ、ほぼ5年かかって教授は正解に辿り着いたわけです