発話思考〜音声入力の効用
おはようございます!
プロファシリテーターの村上と申します。
以後宜しくお願いします🙇♂️
noteでは、徒然なるままに日頃考えていること、感じたことを日記のようにアウトプットしていきたいと考えています。
ここ最近、こちらの意図とのズレを感じることが多く出てきてます。ある事業所では、社員の立場とアルバイトスタッフの立場をよく考えずに、アルバイトに対して自分自身の感情と、それまでの関係性のみをフォーカスした対応してしまったがために、現在トラブルが起こっています。
私からすると、なぜ立場が違ういわゆる部下に対してそういう態度が取れるのか甚だ疑問に感じざるをえません。
また別の事業所では、我々との関係性に大きな溝を感じることがありました。毎月業績の振り返りを行うのですが、その際も具体的な内容が特に出てこず、かといって反応を示すわけでもなく、ただただ無難に会議をこなしているといった雰囲気があります。こちらからの投資の提案に対しても見積もりを見ることもなく不要との判断。
それはそれで良いのですが、業績がままならない中での投資案件こちらとしてもそれなりの判断を持っての話だったのですが。
結果的には我関せずのような態度。何がそうしてるのか?以前ここに書きました。外部のコンサルタントの影響が大いにあると踏んでいます。そうであるならば、事業所長が務まるわけがありません。いわゆるコンサルが主なわけであって、そもそもの自分の立ち位置をわきまえているのか。理解に苦しむ場面でした。
私の中でも、矢印が外へ、そして相手へ向いているな、と感じています。
そこで思った事は、「私心なかりしか」
これは京セラ創業者の稲盛氏の言葉です。事業の上に立つ者は利己主義より、利他の心。これが大切だと痛切に感じています。
稲盛さんがJALの再建に関わったとき、何度もこのことを自分自身に唱え、確認したと聞いています。そして各従業員の、心であり、考え方を変えるために、日々膝を突き合わせて話をしたと。
それに比べれば、私の抱えてる課題問題と言うのはまだまだ。私自身の考え方の至らなさ、行動の少なさがあると言わざるをいません。
そう考えると、会議の場でファシリテーションやコーチングを駆使しながら合意形成を作り上げますが、本質的にはもっと泥臭いことをやっていかなければ机上の空論だけでは通用しない、としみじみ感じた次第です。
これもnoteに綴るにあたって音声認識で吹き込んでいるのですが、その中での発話思考が新しいアイディアを気づきを産んでくれています。
最後までお読みいただき、
ありがとうございました!
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