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ご恩返し

こんにちは!

プロファシリテーターの村上と申します。
以後宜しくお願いします🙇‍♂️

noteでは、徒然なるままに日頃考えていること、感じたことを日記のようにアウトプットしていきたいと考えています。

昨日は子供のクラブ活動つながりのパパ友の送別会でした。
仕事の関係で転勤があるようで、この4月から新天地での勤務になるとのこと。

チームのパパさんたちが集まり送別会を開きました。(はじめての参加)初めましての方もいましたが、そこは関係なく大人の集まり。楽しい時間を過ごしました。

私も単身赴任の経験がありますが、子供の成長段階では難しさもありました。
私の場合は、子供がまだ1歳、3歳の頃から数年間単身赴任でしたので、妻にはかなりの負担をかけたなと思っています。

その数年間は、私は自分の時間がありましたので、マラソンに没頭したり、ロードバイクをはじめてみたりと、今思えば自分の趣味に費やしており、自由気ままに過ごさせてもらった数年間でした。

単身赴任から戻ってきてから、妻に対して「ご恩返し」をしていこうと誓いました。
そう思ったのは、次の話を知ったからです。

みなさんは、日本とトルコの関係をご存知でしょうか?エルトゥールル号遭難事件からはじまります。

それは 1890 年 9 月 16 日の夜、台風によりトルコ軍艦エルトゥールル号が和歌山県の串本沖で座礁、沈没してしまうのです。死者587人、生存者69人。
この時、串本の大島島民は不眠不休で生存者の救助、介護、また殉難者の遺体捜索、引き上げにあたり日本全国からも多くの義金、物資が遭難将士のために寄せられました。
村人たちは、冷え切った乗組員を温め、食料を提供、非常食としてとっておいたニワトリまで分け与えたそうです。
69名の生存者は神戸で治療を受けた後、同年10 月 5 日、比叡、金剛の 2 隻の日本海軍の軍艦により帰国の途につきました。
(引用 兵庫県教育委員会 生徒指導部通心(信)第12号(2022.6.23.))

そのご恩返しがあったのは、1985年イランイラク戦争の時。

イランに住んでいた日本人が緊急避難を迫られた際、世界各国は自国民を救出するために救援機を出しましたが、日本からの救援機の派遣は、航行の安全が確保できないとの理由から見送られ、空港にいた日本人は途方に暮れていました。

そんな時、トルコから駆けつけた救援機2機により、日本人215名全員がイランを脱出することに成功しました。当時、テヘランには多くのトルコ人も在住していましたが、航空機を日本人に提供し、トルコ人は陸路で避難をしたそうです。

「私たちはエルトゥールル号の借りを返しただけです」
後に駐日トルコ大使のネジアティ・ウトカン氏は「エルトゥールル号の事故に際して、日本人がなしてくださった献身的な救助活動を、今もトルコの人たちは忘れていません。私も小学生の頃、歴史の教科書で学びました。トルコでは子どもたちでさえ、エルトゥールル号の事を知っています。今の日本人が知らないだけです。それで、テヘランで困っている日本人を助けようと、トルコ航空機が飛んだのです。」
(引用 串本町ホームページ 串本町の観光 > 絆のものがたり > 日本とトルコの絆をつないだ物語)

95年を経ても、その恩を忘れない。
本当に素晴らしいことだと思いました。

かけた情けは水に流せ。受けた恩は石に刻め。
まさに刻石流水(こくせきりゅうすい)。

妻をはじめ、家族、両親、会社関係者、子供の繋がりの方々、その時々でそで触れ合う人々。
日頃受けている「恩」を心に刻み、不義理をすることのないよう、日々の積み重ねが、心の修養。
特別なことはなくとも、起こることの日常に感謝して過ごしていきたいと思います。

最後までお読みいただき、
ありがとうございました!

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