猫田による猫田のための、メジロ。
ウグイスの代替として私の中で、
消費されてしまうメジロのことを気の毒に思う。
気が狂っているかもしれない。
メジロはうぐいす色をしていない。
けれどメジロはうぐいす色だという感じがするのは、
生来培われてきたウグイスへの固定観念ゆえだ。
これはどうやら私に限ったことではなく、
広く人に理解されているようでもある。
というのもかつて何かのバラエティ番組で、
メジロの画像に「ウグイス」とテロップが貼られていたから。
あの頃からテレビは必ずしも信用できないものと知った。
私も小学生の頃に野鳥が好きでなかったら、
メジロのことをウグイスと信じ続けていたかもしれない。
まあ中学くらいまではきっと。
ウグイスの姿をまじまじと見たことはない。
写真はともかく実物での話。
春になればかの有名な鳴き声が、
なんだか近くに響いてくるにも関わらずだ。
子どもながら不思議に思っていた気がする。
その代わりであるかのように、
メジロは意外と近くにいる。
静かな町を歩いていると時々、
あざやかな黄緑色の大福みたいな生き物が、
街路樹の枝を渡り動いているのが視界の端に映る。
気づかされてそちらの方を見ると、
なんだか少し香ばしい黄緑の体に、
砂糖菓子のような白に縁取られた目を一瞬捉えたと、
思う余裕もなく木々の中葉っぱの隙間の中へと
飛んで跳ねて行ってしまうが少し切ない。
すぐ近くで鳴いているようなウグイスの声。
少し姿を見せてはどこかに隠れてしまうメジロの出で立ち。
二種の小鳥の断片情報がひとつの偶像としての、
黄緑色で目元が白いウグイスを生み出したのかもしれない。
野生に生きるウグイスをまだ見たことがない。
だから時々見かけるメジロからウグイスを思い出して、
ウグイスもいつか近くに来てくれないかとため息をつく。
ウグイスに思い馳せるきっかけとしてのメジロ。
メジロはメジロでかわいいのにね。
ごめんね。