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猫田による猫田のための、掃除機。
掃除機っていったらなんとなく、
黒いスケルトンボディに、
オレンジの内部構造ですよね。
…ダイ○ンかなあ。
掃除機をかけると聞くと、
想像するのはどうしても、
職場だなって思う。
掃除をする癖がつかない。
自分の家で掃除をするのは、
時々気になって気になって、
仕方のない時くらい。
わりあい家事は好きというか、
習慣として成り立っている。
そういう感がある。
でも掃除は習慣にできない…。
まあ私が困らないなら、
もういいんじゃないかって思う。
職場の掃除は今も昔も、
規則的に行われていて、
その中に私もいる。
だから「掃除機をかける」となると、
なんだか精神的に出勤する。
掃除機をかけるのは好き。
ちょっとだけ、
生き物を使役するような心地がして、
気づかない程度にワクワクしている。
精神が幼い。
最近の掃除機といえば、
どんどん小さくなっているけれど、
昔実家においてあった掃除機は、
乗れるような大きさだったのを覚えている。
大きくないが小さくもない、
それくらいのごみ箱をひっくり返したような、
そういう大きさの本体から、
ぐにゃぐにゃのホースが伸びている。
そういう掃除機。
4つの転がる足。
背面の電源コード。
前に伸びるホース。
これはもう概念的にはカメ。リクガメ。
その掃除機で掃除した覚えはないけど、
そういう掃除機の姿は覚えていて、
だからかすかながらに、
生き物の気配を感じ取っているんだろう。
なんて想像。
古の掃除機の形でなくても、
なんとなく掃除機は使役している。
元気な時にはなるべく、
掃除機の胴体を片手に抱えて掃除をする。
後方で行き場を失っている掃除機は、
なんだかかわいそうに思えるから。
でも元気な時だけ。
やる気がない時は問答無用。
勝手についてこいってね。
仮に掃除機が生き物だとしたら、
私はそこそこ掃除機に嫌われていると思う。
掃除機をかけるとなると、
一かけに数回はヘッドをぶつける。
壁に机にどんどこぶつけてしまう。
いてっ!ごめん!
自分の身体車幅感覚が終わっている。
対人ではうまく機能するけれど、
対物はまあまあそこそこ終わっている。
机の角とかベッドの角とか、
ぶつけてあざになるのは日常。
掃除機を使役しているときは、
身体車幅感覚に掃除機も含まれている。
だけどそもそもが終わっているので、
私の身体としての掃除機も、
どんどこぶつかる。
ごめん!
これはもしかしたら、
動物虐待なのではないか。
いや、動物ではない。
つまり家電虐待。
ごめんごめんよお…
そんなつもりでなくて…
わざとではなくって…
…
次はできるだけ、
ぶつけないように掃除しよう。