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猫田による猫田のための、『累』。
『累(かさね)』。
『累』とは、
松浦だるまさんによって描かれた、
醜悪な少女・累と一本の口紅をめぐる漫画作品です。
『累』の最終巻が狂おしいほど好きです。
狂おしいほど好きになる最終巻にたどり着くためにも、
一巻から読み進めてほしい。
始めから最後まで、
一つの舞台演劇を観ていたかのような、
そんな感情に陥ってしまう物語です。
※『累』のネタバレを含んでいると思います※
※ご注意ください※
どうして累を憎めようか。
彼女はただ必死に、
生きる場所をつかみ取っていただけだったのだから。
累だけでなく、
出会う人出会う人すべてが、
生きる場所を必死で掴み取ろうともがいているようだった。
累はとても醜い少女だった。
幼いころに亡くなった母は、世にも美しい舞台女優だった。
母と同じように輝く舞台に立ちたい…。
しかし母とは似ても似つかぬ容姿を他人は見下し蔑むばかり。
あるとき少女は美しい母の秘密を知る。
人の顔を入れ替えるという恐ろしい力を持つ赤い口紅。
口紅を手にした少女は、輝く舞台へ、狂った運命へと足を踏み出す。
皆も、本人でさえも、醜いという彼女を、
美しいと思える。
そんな瞬間が訪れるとは、
微塵も思っていなかった。
口紅で美しい顔を手に入れ、
美しい彼女が立った舞台のどれもが、
それはそれは美しいものだったに違いない。
でも彼女が醜い姿のままで、
自分自身をさらけ出して、
舞台の上であがき演じる姿は、
きっとそのどれもかなわなかっただろう。
全ての物語を知ってしまったその後に、
最終巻演目「宵暁の姫」の千秋楽に立ち会ってしまうものなら、
私は客席でむせび泣いていることだろう。
口紅は確かに彼女を奈落から光の元へと導いた。
しかし本当はそれを使ってはいけなかった。
時に他の誰かを犠牲にし、
時に人を狂わせながらでしか、
口紅は彼女を導いてはくれなかったのだから。
でも口紅を使っていなければ、
彼女は最後の舞台にはたどり着いていなかっただろう。
1巻から最終巻に至るまで、
すべて出会いと物語と過ちと罪とがあったから、
彼女は「かさね」として真に輝く最後の舞台に立てたのだと思う。
「もしも…だったら」なんて物語は存在しない。
やり直すことなんてできない。
それが生きることなのだから。
だから物語に対する対価を、罪に対する罰を、
払わなければ、受けなければならなかったのは必然だったのだ。
でもそこに救いを求めずにはいられない。
許されていいことではない。
他人の人生をゆがめていいわけはない。
そもそもは累も丹沢ニナも、
互いに生きる場所をつかみ取るために、
互いを利用したはずだったのに、
結局は互いを暗がりに導いてしまった。
得体のしれない力を持つ物は人を破滅に導いてしまう、
というのはいつの世も同じなのだろうか。
しかし導かれてしまったものはどうしようもない。
真にまばゆい舞台へたどり着いた彼女は、
その身に十字架を背負うこととなる。
それは避けようのない運命だったのだ。
それでも、そうだったとしても、
私は救いを求めずにはいられないのだ。
『累』という物語は
おぞましく、そして悲しい姿で幕を下ろしてしまう。
ただそこに再び光が差し込むことを、
私は夢見てしまう。
彼女に向けてかすかにか細くたらされた糸に、
私はわずかに希望を見出すしかないのである。
『累』の最終巻が好きです。
そこまで美しい姿でしか描かれなかった累が、
本当の姿で表紙に姿を現したから。
幸福に満ちたほほえみを、
密やかに見せてくれるから。
最終巻を迎えるために、
私は彼女の人生を追ってきたのだと、
そう思えてしまうほどに、
私は『累』の最終巻がどうしようもなく好きです。