ネグロス島へ 慰霊の旅...⑪
4月15日 セブ島
夜の10時に南バスターミナルに到着。定時の11時半に出発。夜行バスでのセブ島行きは2通りあってエスカランテ港からフェリーに乗る場合と、サンカルロス港から乗る場合がある。サンカルロスは大叔父が亡くなった場所。私たちのバスはサンカルロス港を使う路線だ。
大叔父が亡くなった場所は定かではないが、そのすぐ近くを通ると思うと胸が高鳴る。
バスは満席。私の隣の席はフィリピンの女性でタイの学校で先生をしているそう。とても親切で、「ここで、トイレよ。」とか、「ここで朝食、バスは置いて行ったりしないから安心して。」と道中いろいろ教えてくれた。
山道に入ると、登り道が続き、カーブも多くなってくる。いつもは乗り物酔いをしない私だが、この時はなんだが酔いそうな気がして、子ども二人にも酔い止めを渡し、3人で飲んだ。
山の頂上付近で、トイレ休憩。外に出ると満天の星だった。あまりに美しくて言葉を失う。79年前もこの星たちはこの島を照らしていたんだなと思うと、いつまでも眺めていたくなった。
山は下りに入り、ここはもうサンカルロス市だ。大叔父が亡くなったのはこの辺りか。暫くすると、急に眠気が襲ってきた。酔い止めが効いているのか。
目を開けると、サンカルロスの街と港が見えてきた。まだ夜の2時くらいなので真っ暗だ。眠気でフラフラしたが、バスを降りてそこで軽食を食べながらフェリーを待つようだ。 乗客がテーブルを囲み、賑やかに食べている。その明かりの外はもう闇のように暗い。
私がバスを降りると、もう食堂の椅子に息子が座っていてフィリピン人からタバコを貰い、何やら話し込んでいる。女性かと思いきや、声が低く、独特な話し方。フィリピン人のオネエさんだった。息子は英語が得意ではないので、私が通訳をする事になる。
性転換の手術はしたけど、パスポートは男性なので、飛行機に乗る時は男性の格好をするとか、DVが原因で元カレと別れてストレスで太ってしまったとか、自分は美容のスペシャリストで、店を持っているとか。写真を見せながら延々と喋る。誰彼構わず話しかけ、彼女の周りはちょっとしたお祭り騒ぎのような雰囲気。
私は眠いので、バスに戻り仮眠をとる。フェリーが来たのかバスが動き出して目が覚める。息子が席に居ないので、慌てて外にでると、オネエと二本目のタバコを吸いに暗闇に入る所だった。さっきの様子といい、ウチの息子、オネエにロックオンされてないか、、、? せまられたらちゃんと断れるのか、、?
バスの乗客はいったん外に出て、フェリー乗り場の待合室で待つ事に。
この時、薬が効きすぎて(酔い止めじゃなく、ほとんど睡眠薬)瞼を開けられないくらいで歩くのもしんどく、待合室のイスに横になり意識を失ったように眠りに落ちてしまった。
オネエにあっちでタバコを吸おうと誘われ、息子は断るも押しの強さに負けて渋々一緒に出掛けて行った。「息子、、大丈夫かな、、、無傷でかえってくるかしら、、、母さん助けられなくてごめん、、ケセラセラ(笑)」
どれくらい寝ていたかはわからないけど、朝の4時半頃乗船。子どもたちが起こしてくれる。娘も眠そう、、。
息子も連れ去られず(笑)ここにいる。フェリーの3階へ行き、ベンチに座る。オネエは2階の特別室からやってきて、「80ペソ払えば、2階の冷房付きのソファーに座れる」とわざわざ2階の動画まで見せてくれたけど、2階からは外の景色が見えないので「ここで良いです。」と断った。
大叔父が上陸の時に眺めたであろう島の全貌を、この目で確かめたかったし、オネエさんには悪いけど、厳かな雰囲気を台無しにして欲しくなかったので、2階に引っ込んでくれてホッとした。
フェリーでの出来事は、寝たり起きたり夢の中の出来事のような時間だった。まだ暗い海上をフェリーは走り、サンカルロスの街の灯りがだんだんと遠ざかるのを眺め、夜が少しづつ明けてきて、空がゆっくりと茜色に色づいてくるとネグロス島の雄大な全貌が映し出される。美しく横たわる島と、刻々と色を変えていく空と海を眺める崇高な時間を、大叔父の写真と共に眺めた。
79年前に船からこの島を眺めたであろう大叔父は何を思ったのだろう。
ここに骨をうずめる覚悟だったのだろうか?生きて日本の地を必ず踏もうという決心だったのだろうか?
私は写真の中の大叔父に「大叔父さん、ネグロス島にさよならだね。」と言う事しか出来なかった。