ネグロス島へ 慰霊の旅...⑬
4月16日 セブ島
最終日
今日で最後。夜の11時半にホテルを出る予定。GRAB TAXIを(多分個人営業のタクシー)キャシーが予約してくれた。本当は私のスマホにアプリを入れてやらなきゃいけないんだけど、キャシーが「私のでやってあげるから。」と、親切だ。
現地の人も流しのタクシーはトラブルが多くて、あまり乗りたがらない。「釣銭が無い」と言ってお釣りを払わなかったりするらしい。
タクシーでYap Sandiego Ancestral House へ行く。昔の華僑の軍曹の邸宅だったところらしい。 キリスト教系の置物や、家具、日本のお皿など所狭しと並べられている。結構、貴重そうな代物ばかりだが、すぐ手に取れる所にあって、狙われないのかしら?と思う。受付のお兄ちゃんはずっとスマホを見てたし。(笑)
次にムセオ・スグボという博物館へ歩いていく。暑くて途中、コンビニでアイスを食べながらやっとたどり着いたが「メンテナンス中」という事で中に入れなかった。日本軍の物など展示されているので、ここは行きたかった。
「日本からはるばる、ここの展示を見に参りました。ちょっとでも見られませんか?」と中に居る人に聞いたけど、ダメ。(当たり前?)
昔だったら、結構な確率で見せてくれてたんだけど、時代が変わったのかな? セブにもコンプライアンスの波が押し寄せているらしい。。。。
仕方がないので、アラヤモールへ。行きたかった「フカッド」というフィリピン料理のレストランでお昼にする。
ここで、豚の丸焼きレチョンや、酸っぱい系のシニガンスープ、魚のグリル(バングス)、LOMI(ラーメン)、カラマンシージュースなどをいただいた。
3人で旅での出来事を話し合う。息子が昨日のフェリーの待合室でオネエに手を組まれたそう。「良さそうな人だったし、別にいいんじゃない?付き合っても。」と言ったら「まぁ、偏見はないけど、、、、。友達なら良いけど騒がしい。」と。確かに”一人じゃ寂しいオーラ”を出していて、少しメンヘラな所があったかも、、、、。
私が「これで、ミッションコンプリートだね。」と言ったら、娘が「いや、まだだよ。」と言う。
そうだよね。
大叔父の眠っている魂を探して、揺り起こして、一緒に日本へ帰る事。戦争で亡くなった全ての方の魂の鎮魂。それがミッションだったよね。私の思いがちゃんと娘に伝わっているのが嬉しかった。
夕方、宿の近くを散策。華僑が建てたであろう、廟みたいなものがあったので入る。誰も居なかったが、お線香を焚いて、お祈りをした。
セブ島とも、今日でサヨナラ。夜9時でも女性が独りで歩いているし、路上で弾き語りをしているデュオや、地べたに布を広げて手作りのミサンガを売っているカップルなど、みんな優しい。
空港へ
宿のスタッフに見送られ、タクシーで空港へ。行きはメータータクシーだったので、混んでいる道を(わざと)ノロノロ進んだが、今回はFIXプライス(420ペソ)だったのでカーナビを使って、信号のない裏道をビュンビュン走る。こんなにも態度が違うとは、、、
帰りの便は行きと同じ座席リクライニングのないセブエアー。貰った座席番号は3B,3C,3Dだった。見たところ混んでいるし通路を隔ててバラバラか、、 まぁしょうがない、と思っていたらここでミラクル。3Aも3Eも来なかった。まるで大叔父が「お疲れ様、ありがとう。ゆっくり休みなさい。」と言ってくれているようだった。
エコノミークラスの空の旅は大体いつも翼の横か後ろでエンジン音の轟音が鳴り響く席なのに、今回はまるでビジネスクラスのような前から3列目。しかも隣に人は居ない。
早速、窓側に移り、大叔父の写真を取り出して離陸の瞬間を見せることが出来た。飛行機が滑走路に入る直前、暗闇にブルーのライトが一直線に遠くまで伸びているのが見えた。その先に日本がある。
空は満天の星で、月は半月。日本の月と違ってボートのようだ。(ドラえもんのポケットの様な)美しい夜。美しい帰郷。全てが予定されていたようなストーリー。
「この旅のツアーガイドは間違いなく大叔父さんだったね。」
ずっと私たちの側にいて導いてくれて、一緒に食事を楽しんで、人との出会いを喜んで、79年前に出来なかったことを全部やって、満足して。
そして、一緒に日本に向けて飛び立った。
夜間のフライトを2席のシートを独り占めして横になり、旅の出来事をかみしめながら眠りについた。
帰国
成田空港に着く。
滑走路にあった満開の桜は殆どが葉桜になっていたが、まだ咲いてくれているのもチラホラあった。
櫻は待っていてくれた。