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デザインとテックとウイルスの狭間で

世の中には、2種類のデザイナーしかいない。自らの経験を言語化するか、身体化するか。


これは置いておいて、私の近況を記録しておかなければ、と思いMacBook Proの前に座っている。といっても今までの環境とは少し違う。

目の前には大きなモニター、Webカメラ、USBマイクに、イヤホン、オーディオインターフェースと、それにつながるマイクとヘッドホン。そしてもう1台のMacBook Proと、iPad、Bluetoothスピーカー。しかも化石級の掘り出し物であるSurface RTが鎮座している。これがあるのが、今までほとんど使われることのなかった家の中の倉庫的な部屋。私はその倉庫を整えて授業受けつつ、毎日の作業やミーティングをしている。


このようなミクロな暮らしが変わったのももちろんだが、マクロな暮らしでも大きな変化があった。


世の中では「丁寧な暮らし」とか「スローライフ」「セカンドライフ」などというのんびりなフレーズが蔓延っていたが、とあるウイルスによって、情勢は大きく変化した。言わずもがな、丁寧な暮らしなどできる余地がなくなった。余計に忙しくなった。ありがたいことにやることが増えた。肩書きも増えた。関わる人も増えた。Facebookの友達も増えた。(友達申請だけはいつでもお待ちしております。)

そして、やりたいことに時間が足りなくなった。丁寧な暮らしがなんだ。丁寧に暮らしたいんじゃない。大雑把に、気楽に、伸び伸びと、ふわりと心軽やかに暮らしたいだけだ。(それを丁寧な暮らしと言われたらそれで仕舞である。)


リモートワークは楽だ。1つのワークに限った話をするならば。

「リモートパラレルワークは人体に深刻な影響を及ぼします」そうやってMacbookの裏面に刻印したくなるほどだ。この影響が深刻なのはいうまでもなく、特効薬がないからである。いや、逆に言えばある特効薬の副作用かもしれない。


リアルで会えないということによって、今までリアルでやっていた文化をリモートに持ち込もうという潮流がある。そこで立ち返ってみれば、コミュニケーションのチャネルが違うのだから、文化も形を変えないとリモートにそぐわないのではないかと思う。テレビと同じように、夜7時にお堅いニュースが見たいのに、民放のチャンネルを漁ってたとか、そういうことがあってはならないと思う。

ただ、リアルでの文化を擬似的にリモートで体験できる特効薬が現れた。ビデオチャットツールである。数多有名なものがあって、お世話になっている。これが深刻な影響を及ぼしかねない。


ツールが悪いのではない、使う人が悪いのだ。


同じ思考を再現しても、同じ文化は生まれない。⌘Cを押してコピーはできるけど、その内容を脳に貼り付けることはできない。

世の中には、2種類の情報しかない。コピーできるか、できないか。

ツールはたくさんあるし、人もたくさんいるし、その分だけ思考もたくさんある。だけど、その思考は言語化しなければ相手に伝えることができない。もちろん身体化された経験も言語化しなければならないのだが、間違ってはいけないのは、言語化した内容を伝えたからといって、伝えた相手が理解できるとは限らないのである。


すごく一般論を書いていて、一般化された内容を、思うままに、勢いのままに、愛のままに、わがままに、書いてきたのだが、この辺りで最近の出来事と絡めて書いていこうと思う。


最近、ありがたいことに色々な方々と活動やお仕事をさせていただくようになった。一応私はデザインとその研究を生業としているが、おそらく生まれながらにしてテクノロジー関連にも興味と知恵が働くようで。

将来の構想としては、社会でデザインを実践しながら、実践して得たものやその成り立ちを研究対象としたいと考えている。このことを知人に話すと「かっこいいじゃん」と。私はまあそうだなと思って、軽い相槌を打った。

だが、かっこいいってなんだろう?と疑問に思ってしまった。やりながら、わかってみる。わかってみようとしながら、やってみる。その繰り返しを具に見つめ、省みる。このことのどこがかっこいいのか。こんなのはただの苦しみでしかないと思う。自分のやったことを省みるとか、毎日脳内大反省大会オールナイトパーティーにしかならん。絶対。やれんのか、という疑問しかない。これのどこがかっこいいのか。


ただ、ジェラシーでしかない、という点は同意だ。実際に私も憧れている。その面がかっこいいのかと思う。自分では言いたくない。


そんなことを言っているうちに、私はWeb屋さんになっていた。おかげさまでそろそろ最終納品ができそうである。(ちなみにWordpressのカスタマイズと構築ですので、気になる方はお声がけください。他にもWebつくれます。もう一件受注できそうです。ありがとう。)

そして、テック屋さんになろうとしている。正確に言えば、テック屋さんのふりしたデザイナーである。例えば、Web制作とか、アプリ制作はもちろん、クリエイティブディレクションも手掛けようとしている。

おい、できんのか。と声が聞こえそうだが、さすがに私1人で全ては網羅できない。チーム戦です。乞うご期待、と言ったところでしょうか。(こちらもプロジェクトなどのご相談承っております。是非お気軽に。)


(やけに宣伝が多い…)


まあ、手広くやっていたりもするんですけど、研究も手を抜かずにしっかりやっていこうと、そう思いを新たにしているわけですが、その研究面でも先日デザイン学会の特集号に1つ記事を書かせていただいたりもしまして、しっかりやっております。ありがとうございます。しれっと学部生が記事書いています。何しているだか。(本当にありがとうございます。)


(また宣伝か…)


色々なおかげさまで、やっとnoteが書く時間をつくっていますが、本当に心の底から言いたいのは「リモートパラレルワークは人体に深刻な影響を及ぼします」。これだけ。まじで。

先日うちの大学からきたアンケートの下の方にVDT症候群のチェックリストがついてきたんですけど、

「目の疲れ」
「首の痛み」
「肩こり」
「背中の痛み」
「腕の疲れ」
「腰痛」

と、全項目見事にチェックがつきました。なんであろうと、満点というのは少し嬉しくなるものです。これも連日連夜続くリモート作業とリモートミーティングのおかげです。

恐ろしい結果になることはわかってたんですけど、わかりながら数えたんですけど、リモートミーティングがなかった日は、この1ヶ月で6日。作業は連日連夜。リモートの方が忙しいという事実。


『リモートが苦痛』と私が言ったから5月31日はアナログ記念日。


世の中で「リモートワークの方が通勤しなくていいから楽ですね」とか言ってる人は、どうやって通勤時間を過ごしていたのかを教えて欲しいし、逆に私は通勤時間が減った分リモート作業が増えたので、本当に使いかた、使われかた、っていうのが大事かもしれないと、ひがみながらもそう思います。

しかも、テックをフルに活用しているから、まじでリモートで成立する。これが辛い。


私の周りの人ならわかると思うのですが、本当に私は現場主義。


良くも悪くも現場主義で、現場に出なければ何もかもわからない。そう思っているから、現場から1mmたりとも身を引くつもりなんて毛頭なくて、現場に出て、現場をぶらついて、現場を見て、現場を知って、現場に立って考えることで、現場のことがわかるようになる。だから、現場からいなくなるような人々のことを心の奥底では信用しきれない。

現場をわかって、現場でやるから、面白い。デザインは、出来上がったものではなく、デザインの途中、デザイナーがもがく処こそ、デザインの在り処なんだと思っている。

そして、見えないから面白い。全てが見えてしまうと悲しいことが多い。知りたくなかったことがあって、聞きたくなかったことがあって、言いたくなかったことがある。これの全てが表裏一体。

ここで、身体でわかるデザイナーと、言葉でわかるデザイナーの分かれ目が見えるのだと思う。

全てを見えるようにしてしまうのは、言葉でわかるデザイナーにとって必要なのだけれども、身体でわかるデザイナーにとっては必要がない。その時に、共通の言語や領域が減ってしまったりする。同じデザイナーなのに、すれ違いが起きてしまう。(でも、個人的には、このすれ違いをうまく面白くできるんじゃないかとは思っている。)


だけど、全てをひっくり返すようだけど、テックはこんなこと考えてない。ほとんど。これがわかって少し悲しくなった。

私にとって、これこそ「見えてほしくなかった」ところであった。


今日の結び

新時代の夜明けと共にやってくる、それは「インターネットの匿名性の欠如」だと思う。

(今までの話と全く関係がない。ゆるして。)

(ほろ酔いで走り書きしてたので前半の話覚えてない。)

(カルディの紙パックのワインはうまい。)

最後までお読みいただき、ありがとうございます。 皆さんから頂く「スキ」とか、コメントとかがとてもうれしいです。 なんだかもう少し頑張って生きることができそうです。 いただいたサポートは、毎日わたしが生きやすい世界になるために使います。 これからも、どうぞよろしくおねがいします。