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生きることは無駄ではないが、辛い。 - Keep Wearing the Mask

やらなきゃいけないことはたくさんあるけど、なにもやりたくない。

何かしらの不安を抱えて日々生きているけど、不安が解消することはない。

虚無になりたいときだってあるけど、虚無になるには虚無を演じなければならない。

日々を暮らすって大変なことだな、と感じている。

毎日を大切に生きようとすればするほどに、それが辛くなる。

自分からしか自分の言葉が出てこないように、自分の暮らしの中からしか自分の生きる姿は出てこない。

そうやって頭では分かっていても、その頭が自分に対してプレッシャーをかけ続けるから、うまく生きることが難しい。

毎日を大切にして生きたいけど、それを拒んでくるのが社会というものなのかもしれない。

何かしらの不安がある中で、その不安をも大切にして暮らすことができればいいのだけれど、そこまでのパワーが私にはない。

だけど、その中で毎日を生きなければならないのだから、できるところで自分を大切にしていかなければならないのだと思う。

それができなければ、私みたいなひねくれた人間になってしまうのではないのだろうか。

でも、毎日を不器用に生きているけど、実は、それが一瞬たりとも無駄だと思ったことはない。この言葉が私から発せられることに耳を疑う人は少なくないと思う。

正確に表現するならば、無駄な暮らしは一瞬たりともないけれども、その積み重ねとして辛いものがある、といったところだろうか。

無駄ではないが、辛い。

生きることは辛いことだ。だが、生きてきた私を無駄だとは言いたくない。これは少し横暴で強引かもしれない。

ただ、生きてきた自分を褒められるのは、自分しかいない。

自分にしかわからない仮面を被り続けたり、嘘で固めた外面だけを見せ続けることを誰も褒めてくれるわけがない。

それで他者から認められてきたならば、その生き方は辛いけど、無駄ではなかったと思う。

誰も、他者に自分の全てをあからさまにしている人などいない。

もちろん私もその1人である。

確実に2時間後に世界が滅亡して全ての人類がいなくなるというのならその仮面を外して2時間ずっと自分語りをしてもいいと思っているが、今のところそんな予定はない。

もしそれを聞きたいというのであれば、世界を滅亡させる準備を整えてきてから門扉を叩きにきてほしい。素直に迎え入れようじゃないか。

それまでは、社会の中で生きているのだから、仮面を被り続けるのだと思う。全ての人に違う仮面を見せながら。

そして、全てに人に、分かったつもりになっちゃいけないよ、と心の中で語り続けるのだと思う。

私は、そうやって複雑な感情と感情の上塗りを重ねながら、毎日を大切に生きながらえている。

だから、生きることは辛い。だけど、毎日を大切にして自分を認めながら生きていくことで、不安が少しでも拭えたらなと思っている。

あーあ、なにもやりたくないなー。



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お知らせ


このnoteの記事は、札幌市立大学グラフィックデザイン部「chips」の月刊ZINE「chips」2月号に掲載させていただいております。是非ご覧ください。


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