Mac to Bed to Mac to...
最近、暮らしがコンパクトに、無駄がなく動き回れる、時間もみっちり使える、そんな日常になってしまったように感じます。
別にこれが悪い、とは言いません。でもこれは大体、良く思っていない時の枕詞です。
毎日を有効に使える、という言葉は一体だれの目線の言葉なんだろう、と考えたことがあります。大体は使用者としての目線です。つまり、仕事もっとできるだろうと。(個人的には)
大概は「リモートで時間有効的に使えるようになったでしょ〜」と、紅茶を飲みながら足を組んで鼻高々に言ってくる素っ気ない人間像でしょう。(個人的な妄想)
有効に使えた分、何か自分のために時間を使えますか?と聞きたくなります。私は使えません。仕事が短縮した分、次の仕事を早く取り掛かろうとします。もしくは、その隙間に新しい仕事をしたりします。
しょうもないハードワーカーでしかないです。そんな人にとって「時間が有効的に使える」は、後々の地獄行きチケット(片道)になってしまうのではないかと思っています。
つまりは、現在がそう。3月〜7月にうおおおおおおおおおおって勢いで次から次へと仕事や学業や研究、その他もろもろを取り組んで行ったおかげで、いまが辛い。何もしたくない。半年くらい休みが欲しい。本当に。
リモートワークが始まって、新しい仕事が始まって、研究が本格スタートして、新しい試みだらけで、目まぐるしい日々。
しかも、家にいるし、オンラインで24時間繋がれるし、いつでも作業できますよね、できちゃいますよね。
おかげさまで予定ない日は Mac to Bed to Mac to Bed to................be continued...
予定ある日はギリギリまで寝て、ミーティングなど行って、作業、作業、作業、、、、
やっぱり労働基準法ってすごいわ、健全に働ける環境づくりって大事よ。
日常の暮らしと、日常の仕事作業タイムが、ごちゃ混ぜになって、切れ間なくつながって、日常の暮らしを侵食していく、そんな感覚が鬱陶しくなったのが8月。
やっぱり、持たないよね、身体って。
若くない。そう、若くない。
例年だと、3月〜7月まで頑張って、7月・8月少しゆったりして、また9月から再始動、という感じのルーティーン的なのが完全に崩れ去ってしまって、もう1年終わったんじゃないか、って感じてる今日この頃。
どこにも遠出できないし、お金も使おうと思えないし、推しのライブは全てなくなるし、かと言ってライブ配信も見ようとする気力ないし、ほんと弱々しい人間だな、ってすごく感じる。
マスクの下でひた隠しにしていた感情が溢れ出すことなく、そのまま息詰まってしまうんじゃないかって、とても怖く思う。
明るく振る舞うのも面倒になってしまうけど、どうしても人と会うとスイッチが入って明るく振る舞う。その反動もとても辛い。
そろそろ終焉なのかも、と何度も思ってきた。
その日は近いのだと思う。
知らんけど。
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