伊邪那美神から受け取るもの
やかんの世界観から観た物語りの解釈です。
何の根拠も無く何かを否定するものでもなく。
どう捉えたら広く括り包み込む事が出来るのだろうかの視点からの考察です。
伊邪那美命は、多くを産み育み
産む役割を終えて黄泉の国で伊邪那美神となります。
女性性の内で特有の産む役割を終えた
色々な解釈は出来ますが
閉経とも捉える事も出来そうです
育むは女性性と男性性の両方が役割ごとに力を合わせて担っています
伊邪那美神は
どちらかというと
自分の子孫(家族や身内)を産み育てる存在から、もっと広い範囲の女性全体を括り見守る神になったのかなという印象を受けました。
自分に当てはめて考え直してみます。
例えば、
夫婦となり子を産み家族という括りを守る役割をしていたとします。
子は育ち成長し巣立つぐらいに、
閉経となり産む育むから卒業となります。
その際に、女性の身体の中と心の中が凄く変化するわけで、葛藤や気分の落ち込みや体調不良や怒りをコントロールするのが大変な場合がある。
それを「気が枯れた状態」
悪いという意味ではなくエネルギーが抜けてしまいコントロール出来ない状態
その状態から湧き起こる感情が黄泉の国で湧いてくるウジで表現してるとも捉えられるかなと思ったりします。
伊邪那美命と伊邪那岐命のやりとりはとりあえずここでは触れないですが、
伊邪那美命は黄泉の国の神として
女性性の産む役割から
広範囲を見守る役割に変わった
と伝えたいのかなと
人間の親子で考えると
子が巣立ち子育てが終わり
小さな括り(家族とか)を見守り育む役割から、
もっと広い範囲の人たちを
そっと包み込むように見守る役割に
変わりますよ
そういう役割がありますよと言われている気もします。
鬼子母神の神話でも
最初は自分の子供をたくさん産み育てるために周りを考えず必死に生きるイメージがありますが、諭されて改心して人間を見守る神となっているのも、心の移り変わり役割の変化を表現していると解釈すると自分の中に受け入れやすく考えるヒントになりそうです
経験が蓄積され
狭い視点ではなく
より広い視点で物事を観察し
いちいち争うのではなく
もっと大きな括りで和合する
そういう存在になる役割の時ですよ
そう伝えてきるようにも捉えられる
いつまでも自分の小さな価値観に囚われてしまうと周りを批判の目で見てしまったり
時に助言がおせっかいになってしまったり
信じて任せて見守るという立ち位置にドジっと座るという時期も大切で、今自分はその時期に入ったんだという自覚も必要なのかなと思ったりします。
男女別の話しでは無くて
性質の話しで女性性も男性性も人の中にはどちらもあります。
その女性性の話しです。
産みは人に限らず物も含んだり
親子とは限らず上司部下
社長と社員など
その空間を見守る立場になる人なので
性別は関係無いです
事柄に囚われてしまうと自分には関係無い話しだと受け入れを拒んでしまいますが、
もっと括り方を広くして物事を眺めてみると
関係ないは関係あった!に気付く事が出来ます。
過去に積み上げてくれた知恵を
どう受け止めどう取り入れるかは
託されていると思うのですが
何を伝えたいのか思いを馳せる
「思い」が繋がると新しくその人の中の新しい物語りが始まる
人や物を生み出す以外にも
人は見えない物語りを新しく想像(創造)し生み出すために行動しているのだと感じます