見出し画像

迷いに迷う出光美術館か正岡子規庵か。

先週、東京の施設で暮らす母に会いに行きました。
せっかくの東京行きなので
クライアント様にも挨拶してこようかと思いましたが
12月は年末進行(印刷所が年末年始に休むのでスケジュールが前倒しになること)で、みんなキュウキュウのはず……。

ということで
クライアント様に会うのはやめて
ほかにどこか行くところないかなぁと考えたら
ああ、そうだ!
前に行こうとして行けなかった出光美術館に行こう!
と思い立ちました。


出光美術館は現在、とくに観たい展覧会ではないけれど
ショップで仙厓の2025年カレンダーを買ってくるというのはどう?
と思いました。
この時期にぴったりです。
それから東京駅までてくてく歩いて
煉瓦造りの丸の内駅舎を見てこよう……ということにしました。

母の施設から西武新宿線で高田馬場へ出て
そこから東京メトロに乗り換えても、山手線でも30分くらいで行けそうです。
ということで
出光美術館に最終日の大阪へ戻る前に寄ることにしました。


ところが
東京へ行く前々日の夜。
子守唄がわりに枕元で流していた『ラジオ深夜便』から
私がラジオ深夜便のアンカーで一番好きな工藤三郎アンカーの
「週末に台東区根岸にある子規庵を尋ねてきました。」
と話す声が、眠りに落ちかけてる私の耳に聞こえてきてハッ!としました。

子規庵!
以前、正岡子規の『仰臥漫録』を読んだ時に
その正岡子規が最後を過ごした家が東京に今も残っていることを知って
「いつか行ってみたいなぁ……」
とぼんやり思っていた子規庵。
工藤アンカーの話では
「こんな小さな六畳間で、あのような俳句の世界を作っていたのかと思うと感動した」とのこと。
そして
その六畳間から見える庭には糸瓜の棚があって、12月になるというのにまだ蒼い糸瓜がなったままだったと。
ああ、その小さな六畳間と糸瓜の棚を見てみたいなぁ。。

翌朝起きてから子規庵のHPを調べてみると
なんと。
子規庵があるのは山手線の鶯谷駅で、高田馬場から20分ほどでした。


ここに来て迷う迷う迷う。
出光美術館で仙厓の2025年カレンダーを購入+東京駅の丸の内駅舎を見るコース(高田馬場から30分かかる)か。
それとも
子規庵を尋ねるコース(高田馬場から20分)か。
どちらも捨てがたいが、両方行く時間と体力がない。

とりあえず両コースの地図をプリントアウトして
当日の気力と体力と気分に任せることにしました。


で、東京滞在3日目。
母ともゆっくり過ごすことができて
さて、そろそろ施設をお暇しますか。
となった頃から、何やら鼻の奥がヒリヒリし出しました。
経験上、これは風邪の兆候。やばい気がしました。
すぐにでも塩水で鼻うがいしたいようーと泣きそうでした。

ということで。
あんなに迷いに迷った出光美術館も子規庵も
どちらにも迷うことなく
高田馬場から品川へ直行して新幹線に乗って大阪に戻ってきました。
ちゃんちゃん。あーあ。