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自分を大切に
数日前、以前の師匠にコテンパンに怒られた。普段、無意識にしている呼吸や日常、それに体気の流れが一瞬にしてぐにゃっと変わってしまった。電車に乗る人、横断歩道を渡る人、信号が変わる瞬間、隣でサンドイッチを頬張るおばちゃん、それを見守る息子さんらしき人など全てがスローモーション。地方から羽田に移動してその日は空港のホテルにチェックインし、部屋で一息ついてから食事にでも行こうかとホッとしたところで届いたメールに書かれていた。
「あれじゃダメだな」
昔はこんなことがあった。小学校の時、朝学校に行くと上級生が「XXX 4年1組らうかXXX」と私の教室の黒板いっぱいに書いた。そんな時自分がスーッと下がっていくみたいな感覚で、周りの音が聞こえなくなり、視野が狭くなって、トンネルを猛スピードで後ろ向きにバックしていくような感覚で、周りの景色が遠のいていく。その時の上級生のにやけた顔を覚えている。
この時期私は同じクラスの女の子を毎朝迎えに行って一緒に学校に行っていた。その子は発達障害を持っている子だったけど、その時は別に障害を持っているからこうとかああとかいう感じはなかった。それがよかったのか悪かったのか、今でもわからない。学校が終わってからも時々一緒に帰っては彼女のお家に行ったり、私のうちに来たり、他の友達とも仲良く楽しかった思い出がたくさんだ。黒板の「ダメらうか」メッセージはそんな日常に起こり、どうやらその女の子に関係しているらしかった。なぜそんなことになったのか、なぜそういうことを言われたのか、先生に聞いても親に聞いても、わからなかった。知らない間に私は酷いことをしたのだろうか。私は怖くなり、その後その子と、そして周りと関わるのが怖くなった。
また、中学生の時、所属していた吹奏楽をある日体調壊し休んだ時。やっとの思いで普通授業から帰宅して、ゴロンと寝転がろうとしていると、吹奏楽部に行っていた同級生から電話があった。その頃は携帯もWifiもない時代。親からもらったであろう10円玉で、わざわざ私にお金を注ぎ込んだのだ。
「なんで休んだん?先輩たちむちゃくちゃ怒っとるよ。もどってきぃ」。
私は恐ろしさで泣きながら学校に戻った。
どちらの出来事にしても、いまだになぜあんなことがあったのかわからない。黒板に書かれた後入ってきた先生や同級生はどんなだっただろう。あの時なぜあんなことが起きたのか、親や先生から説明はあったのだろうか。全く覚えていない。貶めてやろうと企んでいたのは確実に理解できた。
昔のことを考えるとポッと頭に浮かんでくる出来事だけというだけで、子供って残酷ね、って言えるような人生経験も私なりにしてきたし、きっと私も子供の頃は色々な人をたくさん傷つけてきたのだろう。本当にごめんなさいと言いたい。
つい昨夏にこんなことがあった。
私が住んでいるのはスウェーデンという国。もうかれこれ20年以上暮らしている。大学院に通い、キャリアをゼロからスタートした。
夏休み第1日目を思い出のあるスタートにしようと、近くの浜辺まで自転車を漕いだ。当時11歳の男子と13歳の女子、50歳になってまもない旦那のルーディーとわたくし。スウェーデンで夏休みの始まりといえば6月後半に差し掛かった頃だからまだ肌寒い。
150メートルくらい前方に白髪のおばさまが、真っ白い犬とこれまた真っ黒な犬とお散歩中。
いつも家の前を散歩させているので、窓からその姿が見えると、「あーお塩ちゃんと胡椒ちゃんだぁ、可愛いー」とらうか家がざわめく。
うち、らうか家には5歳になるビビり、しかもやんちゃな犬がいるので(その日はおじいちゃんとおばあちゃんちに借り出されていた)、犬を飼う人たちにリスペクトと思って、家族で楽しく話しながらゆっくりと通り過ぎようと思った。自転車のベルを鳴らすのはかえってよくないと考えたから。あちらの犬たちは気づいて嬉しそうに尻尾を振ってこちらを見ていたけども、おばさまは全く気づかなかったらしく、通り過ぎざまに叫んだ。「ぎゃー!」その後続けてスウェーデン語で、「あー!びっくりした!XX!!」など汚い言葉を蹴散らした後、すごい剣幕で怒ってきた。内容は、犬がびっくりするから自転車に乗りながらすれ違うなんて異常だ、犬がわかるようにベルを鳴らして行動しろというもの。
こちらは気をつけていたんだけども、それもそうかもしれないと思い、びっくりさせてごめんなさいと声をかけた。帰ってきた言葉は、「クソガキどもめ!」だった。その日はなんだか悲しい1日になったし、そのおばさまのことが気の毒に思った、と同時に同じような言葉をそのまま返せばよかった!と少し後悔して、言わなかったこと、言えなかったことに少しホッとした。あぁ同じやつにはなりたくねぇ。。。
この時に思った。怒りを外に出す時、相手に何をどう発信したいのか。
ここまで書いてきて、挙げてきた3つの出来事に関して共通点があるとすれば、相手の中に溜まっていた毒を私にペッと吐き出したことだ。ただ吐き散らかして傷つけたということだ。
これは人としてどうなんだろうと考えてしまう。
もし世の中の多くの人が、お互いに助け合っていこうと常に思っているのであれば、こういう行動はできない。
自信を持って人に毒を吐ける人間は私にしてみればカッコよくない。こんな上司だったらモラハラだし、パワハラだし、毎日会社に行くのも嫌になると思う。自分ではどうにもできないことだから。
「相手の行動や言動は変えられない」、スウェーデンの精神科医が口を揃えて言う。そんな教育が染み込んでいるスウェーデン、こんな暴言を吐かれたのには正直びっくりした。と、ここで、おばさまがスウェーデンで育ちでスウェーデンの教育を受けたかどうかは全く定かではないので、一括りにすることは危険だけども、今回の出来事にとにかくびっくりした。
今まで経験してきた人種差別などと同様、後々まで引きずった。
私は音楽を職業としている。西洋音楽を学ぶため地方の街から東京の大学へ行き、留学もさせてもらって、その留学先のスウェーデンを拠点に日本でも仕事をさせてもらっているいわゆるフリーランスのミュージシャンだ。高校時、憧れの演奏家の先生のいる大学で学ぶため、授業が終わってから急く急くとピアノの先生のところに通い、レッスンを受けていた。そのピアノの先生とは別に、月一くらい不定期でレッスンをしていただいたのが冒頭の師匠だ。
なぜこんなメールをもらったかというと、メールを受け取る前日、私は日本で開催された音楽祭の演奏会に参加していた。こんな私もプロフェッショナルの世界で叩かれながらも、運よくいい先生方や同僚に囲まれここまで育てていただいた。その師匠もその一人だ。
今回十何年ぶりかに演奏会を聴きにきてくれた。
「君の演奏を聴くのももう最後かもしれない」と70を過ぎた師匠はいい、舞台裏に顔を出してくれた。師匠を知っていた人も多く、懐かしいわねぇと楽屋で盛り上がっていたので、あぁ先生もお年を召されて穏やかになられて、年賀状も日頃のメールも途絶えてしまったことを少し恥ずかしく思い、申し訳ない気持ちになった。
翌日落ちた。
また思い起こされた。過去の記憶が戻ってきた。
なぜ年賀状が途絶えたのかを。時々送ってくるメールに返信しなくなったのも。
はっきりと思い出したのだ。記憶から消していた事実がこれまでにもたくさんあったことを。。。。
ひどい言葉でダメ出し、人格否定。演奏家としていかに私がダメかなどなど。これが過去にもずっと続いていたのだ。
若い頃はありがたいと思っていたお叱りは、今となっては嫉妬にしか聞こえない。もし先生が、自分のおかげでここまで活躍できてるのに、最近感謝の気持ちも見せないで、と怒っていらっしゃるのなら申し訳ない。
ここまで育てていただいたのは先生のおかげだけど、「先生だけのおかげ」ではない。申し訳ないけどもうここで縁を切らせていただこう。
大事にしてくれる人を大事にする、そういう生き方をこれからはしたい。
私は2児の母だ。ポンコツな母だ。
結構な度合いで自己中だ。でも子育てだけは毎日初心者で、マックスで悩み子どもと向き合う。
そんな毎日の子育てで旦那と一緒に試行錯誤して学んだものの一つで、私たちがとても大事にしていることがある。
子供達がミステイクをした時または悩んでいる時、私たち親がそれを言葉や行動で導くとき、頭ごなしに怒らずまず寄り添うということ。そしてどうしてこんな言動行動をしたのか、どうやって解決していくか、向き合っていくかを議論し、一緒に解決に向かって努力すること。
他人に対してもそういう思いでいられるようにする。
できなかったことや腹が立ったことに怒りを投げ散らかして、鬱憤を晴らすことにエネルギーを使うのではなく、どうしてそうなったかと寄り添い、じゃ次からはこうして欲しいと提案する。
いいか悪いかは人それぞれだろうが、うちはこれで、捨て台詞を無かったことにすることは無くなった。カーっとなってひどい言葉を投げても、しばらくして「あの言い方はまずかった、ごめんね」と謝れることはとてもいいことだと思う。だから謝ってくれてありがとう、という。スウェーデンの人は一般的に謝らない人が多い。私の周りだけだろうか。音楽家に多いだけだろうか。わからないけど、実際、謝らない人が多いことで悩んだこともある。
感謝とリスペクト、なぜなら多くの人が不条理なことで悩み、日々一生懸命生きているのだから。だからこそ人を大切にできる人を大切にすることは、自分を大切にすることでもあると思う。
うちはこの方法で悪い方にもでた。
娘が、まぁそれは口達者になった。
口で弟を負かす。静かに物事や状況を分析し、言葉巧みに言い負かす。
だから自信持ってはお勧めできません。悪しからず。。。