僕らは幻術にハマっている
NARUTOの中に相手を幻想世界へとハメる幻術というスキルがあるのだが、よくよく考えれば我々の身の回りにはそういった幻術だらけではないか。
例えばこれを読んでいる時点であなたはすでに幻術に入っているのだ。
NARUTOの中では無限月読という月を利用して世界中の人間を幻術世界へ入れて夢の中で世界中の人に幸せになってもらうという”月の眼計画”というものがあるが、我々の世界ではこの”無限月読”の世界と”脱幻術”をした世界で生きる両方を選択する事ができる。
もちろん”無限月読”の世界では夢の中で幸せなので本人としては楽しく暮らしていく事ができる。しかし、所詮は夢の中なので現実世界を変えることはできないし結局は術者が得をする。
一方で幻術から脱して現実世界を生きようと思うと上手くいかないこともあるし、その幻術をかけてくる相手を意識する必要があるのだ。
ではその幻術をかけてくる相手というのは誰なのか。
術者1: コンテンツメイカー
まずコンテンツを作る側はある程度、コンテンツの消費者を支配できる状態にある。
例えば、有名人が「どこどこのOOのケーキ美味しかった!」とでも呟こうものなら一定数の人間はそのお店へと足を運ぶだろうし、自分の注目する人が「これはこういう理由で買っておいて良かったです」と言えばそれを買いたくなった経験がある人も多いだろう。
もちろん本人としては「OOさんと同じものを買った!」という満足感で幸せだろう。しかしそれは幻術にハマっている状態で、本人的には幸せだがハマりっぱなしで現実の問題を解決できるわけではない。
もちろん我々はなろうと思えばコンテンツメイカーにいつでもなれる時代にあるため、例えばこのnoteの記事もコンテンツを作っている著者がいてそのコンテンツを消費しているあなたがいるわけだ。別にどちらも同じ人間だし大差はない。
しかしこう考えてみるとまた不思議な感覚があるかもしれない。
術者2: 影分身(ボット)
この記事を読んでいるものの、実際にこれを書いているのはプログラムされたAI(人工知能)かもしれない。では誰がプログラムをしたかというと何らかの意思を持った存在ということになる。
組織で考えてみるとわかりやすいが、例えばカレー屋があったとしてあなたは食券を買いそのデータがカレーを作る機械へと送られて自動でカレーが出てくるのでそのカレーを食べる。
この場合、カレーを提供するのは確かに機械なのだがその機械を導入したのはそのカレー屋の経営者であり、その意思とは利益を上げることだったりする。
ちょうどナルトが影分身をして「敵を倒す」という意思をもとに影分身全員を動員させるのと似ている。ここで考えなければいけないのが、影分身をしている分の兵隊やチームが必要なくなるということでもある。
なぜ経営者が機械を導入するのかというと、自分の意思を伝えるために機械の方がコストが低く量産可能だからだ。お金を数えるために人を雇う必要はないし、食券を厨房に伝達するのに人を雇う必要もなくなる。
術者になるには
これを考えてみれば、幻術にハマっている人というのは生きるためにカレーを食べているように見えて実はカレーを作る機械を動かすためにお金を運んでいるようにも見えてくる。
ではカレーを食べている人が会社の中でチームをまとめる立場だったとしよう。その人は術者だろうか。
Narutoの世界では相手を幻術にハメたように見えて実は自分がハマっていることもあるが、もしかするとチームをまとめているように見えて実は社長の顔を伺い部下のために準備を整えるばかりで自らは利益を生み出していないかもしれない。
一見自分は働いていると思いつつも「AIアシスタント導入するから君いらないよ」と言われる可能性もあるし、自分より立場が下だと思っていた現場で働く人の方が機敏に対応できたりしていて価値を生み出していたりするのだ。
そう、つまり術者というのは「世の中にその人ならではの価値を生み出せるか」ということになる。これが理解できればあらゆるサービスや人が幻術にハマっているかどうかも判断できるだろう。
術のタイプを知り、伸ばし、重ねる
とある配信者がメントスコーラをやれば他の人も真似をする。これは別にその人ならではの価値を生み出しているとは言えない。確かに見てくれる人は多いかもしれないが、それはメントスコーラを派手にやった人にポイントが入るだけでその人が術を発動しているわけではない。派手なメントスコーラ職人の術にハマっているのだ。
NARUTOではそれぞれ使える術にもタイプがある。感知タイプもいれば、雷や火を使う事が得意なタイプもいる。モチベーションも火影になりたい者もいれば自分の存在を認めて欲しい者も多種多様だ。
自分がどんなタイプなのかを知るのは自分ならではの価値を提供する上で重要で、メントスコーラが得意でなくても「蟻を飼う事が好き」というのであれば蟻にメントスを与えてその結果を出せば世の中に新たな価値が生まれる可能性もある。
自分のタイプはNARUTOとは違いハッキリと目に見えてわかるものではないかもしれない。ほんのちょっと感情の琴線に触れるものかもしれないがその微妙な差を見極めてそれを爆発的に伸ばす事で人とは違った価値を提供できる可能性があるのだ。
例えそれが同じメントスコーラだったとしても、あらゆることを伸ばしていく中で自分の中で得意なことを組み合わせたり重ねたりする事ができるようになり、風遁・螺旋手裏剣のように新しく自分のオリジナルの技が使えるようになるかもしれない。
*風遁・螺旋手裏剣・・・螺旋丸を覚えたナルトがそこに風遁のチャクラを練り込んで作り出したナルトのオリジナル技。ナルトにしかできない。
まとめ
何が言いたいかというと、我々は「人にかけられた幻術世界の中で楽しく暮らす」か「自分の幻術世界を作り出し人を楽しませる」かのどちらかを選べるという事だ。
もちろんどちらも悪いとは言わないし個人的には幻術世界で楽しく何も気づかないまま生きていくのも悪くないと思う。そこには別に「人の役に立つ」とか「誰かのために」というものは必要なく、自分だけ楽しめる方法を探せばいいだろう。
しかしやはり心の中で「人と関わりを持ちたいな」という感情があり、その中でいろんな人に感謝の心が芽生えて「その人に何かをしてあげたい」とか「より多くの人が楽しくなる幻術はなんだろう」と考えたりすることもあるのだ。
具体的に言えば、YouTubeなどでAdobeのソフトについて解説をしているのだが、ここでソフトを紹介すればするほどAdobeが得をして、私は幻術にハマりながらAdobeのインストラクターみたいなことをしていることになる。
気づかないうちに自分ではなく何者かに得をさせるために幻術にハメられている可能性があるのだ。それが保険だったり、パチンコだったり酒やタバコだったり人によって違うと思うし、否定はしない。
ただ、少しだけ客観的に見てみて「その幻術世界でいいのか」と考え直した方がいいこともあるかもしれない。
NARUTOの忍者たちが安易な無限月読ではなく現実世界で戦うことを決めたときのように。