マンガみたいな”漢”の生き方を目指そう
漫画や映画のキャラクターを見ていると「こいつは漢だぜ!」と思う時が多々あります。
筆者が特に好きなのは「レオン」のマチルダのために命を賭したレオンや「ワンピース」のルフィの身代わりに痛みを受けたゾロ、「七人の侍」で一飯の恩を返すために戦う侍、「仁義なき戦い」で一人だけ任侠を貫く菅原文太は「漢だぜ!」と涙を溜めながら見たものです。
(もし好きな作品のシーンがあればコメントで教えてください!!)
内村鑑三の「後世への最大遺物」では誰しもが残せる最大のものはその人の”生き様”だと言います。
ここで取り上げる”漢”というのは男や女という性別とは関係なく、その心意気が尊敬され勇ましい生き様を持つ者だと考えています。
そしてここで筆者はそんな人物へと近づくために”漢”になるための要素を書いてみたいと思います。
器がでかい
器がでかい漢は余裕があってかっこいいですね。
自分のためだけではなく誰かのために気を遣える度量があります。
つまり器が大きいというのは、自分だけじゃなく他の人をも受け入れる精神性や思慮があるということなのでしょう。
逆に器が小さいというのは自分のことだけで精一杯なので余裕がなく見えてしまうのかもしれませんね。
勇者は旅の途中でも困った人を助ける器の大きさがあるものです。
利己のために仲間を売らない
映画や漫画でも自分が酷い目にあったとしても仲間を裏切らないシーンはグッとくるものです。
しかし現実では「それはあいつのせい」「自分は悪くない」と誰かを簡単に売り渡したくなる場面が多々あります。
そうすることで自分の評価が下がらないとか罰を受けないといった損を避けると考えてるのかもしれませんがすると仲間からの信頼も得られないのかもしれません。
ちなみに「ワンピース」でミンク族が雷蔵を売らなかったシーンはかなり衝撃的でしたね。
目標へと向かっている
ただ漫然とダラダラ生きているのではなく何かに向かって動いている人は周りの人もその人の向かう先が気になります。
気になる存在になれます。
これは漫画の魅力的な主人公には必ず目的があるように、一人の人物を物語の主人公のようにする力があるのでしょう。
自堕落な生活をしていた「ロッキー」がボクシングへの目標ができた時に物語が進んでいきました。
目標に向かう時というのは努力や時間、お金の使い方が変わってくるものです。
覚悟が決まっている
何かをやると決心して覚悟をしている場合は逆境があったとしてもそれに対して言い訳をしなくなったり、それを乗り越えようという気概が現れます。
覚悟とはなんでしょう?
水風呂に入る前には「水風呂が冷たいのは承知!」と覚悟した上で入りますが、新しい挑戦をする時もそれ相応の努力が必要だったり反対や障害に遭うのは当然だと知っていれば覚悟ができるのかもしれません。
ポジティブへと考えを持っていく
何かうまくいかない時にクヨクヨせずにポジティブに思考を切り替えるのは大切だと言うのはどこかしらで聞いたことがあるかもしれません。
それはもちろん自分にとっても大切な思考ですが、相手に対してもポジティブに持っていってあげる人はかっこいいものです。
「お前は十分、よくやったよ」と労いの言葉をかけたり、自分を卑下する人に「そんなことない」や「君にはこんな良いところがある」と言葉をかけてあげる気遣いができるのはかっこいいですね。
弱きを助け強きを挫く
「あの人誰に対してもイエスマンだよね」と言う人よりも立場に関係なくおかしいことにはおかしいと言える人はかっこいいです。
中には弱者のふりをした人間もいますが、「これは助けた方が良いな」と思った人間に対してはどんなに強い敵がいたとしても立ち向かえる人はかっこいいと感じます。
農民を助けるために七人だけで大量の野伏と戦うことを決めた侍のように、強い相手と戦うと決めそれからどう戦うかを考えていく様は魅力的に見えます。
相手の心を察する力がある
心の優しい人はいつも「大丈夫」と口にしますが、本心ではないことがあります。
そう言う人はある日突然去ってしまうことになるので、その心を察して相手を気遣ってくれる人はかっこいいです。
「言えばいいじゃん!」って?
言えない人間もいるんです。
相手がなぜその言葉を発しているのか、なぜそういう行動をとったのかを汲み取って何も言わずに行動で示せる漢はかっこいいですね。
筋を通す
社会に出ると筋を通すのはかなり重要です。
知り合いの部下を黙って引き抜く… なんてのは筋が通ってないというのが分かると思いますが、この時に大切なのが「報告をする」ということでしょう。
「あなたのところの〇〇さんに手伝って欲しいんですが」と報告や連絡があるのとないのとでは相手の受ける印象は大違いです。
人間が揉めることの7割くらいは「そんなの聞いてねぇぞ!」じゃないでしょうか。
しっかりと言うべきことは面倒に思わず話をつける方が後で面倒なことにならずに済むのでしょう。
人目がなくても努力を継続する
誰かに賞賛されるからやっていることよりも、誰にも賞賛されないけれどもやり続けられる人はかっこいいです。
継続していると言うのはある意味で自分に対する信仰で、それを続けているからこそ自信を持てることがあります。
「筋トレを続けているからこそ自分は人より体力がある」や「英語の勉強を続けているから少し喋れると思う」などの自信へとつながります。
誰もみていなかったとしても自分は見ているのです。
踏み出す勇気がある
勇気というのは精神的に負荷がかかります。
皆が賛成している中で反対意見を言うのは勇気がいりますが、実は同じことを多くの人が思っているかもしれません。
「周りがそうだから」「これが常識だから」「ルールだから仕方ない」と大多数が思う多数決が正しいとは限りません。
マルチ商法の会員になった人の周りはそれを賛同する人ばかりですし、ギャングの家に生まれたスラムの人間はそれが当たり前の環境だと考えているでしょうが自分の中に信じる方へ踏み出せるのは漢らしいです。
自己認識ができている
自分の強みと弱みを把握していたり、自分を客観的に見た上で言葉を発する人はかっこいいです。
そう言う人間は「俺の強みはこれだ」と言う自信がある一方で、「できないこともある」と言う謙虚さも持ち合わせています。
また自分と他人を切り分けることができているので、「俺は俺、人は人」と比較して嫉妬することも少ないのかもしれませんし、自分の不運を誰かのせいにしたりしないのかもしれません。
打ち明けない
自分の本心を打ち明けた時に損をすることは多いです。
それは言い訳に聞こえたり、弱音や愚痴を吐いているように見えるからです。
もちろんそれだと精神的にきついので、自分の伴侶だけに打ち明けるとか信頼できる人間のみに打ち明けるなどにするに収めた方が良いかもしれません。
「言っていいこと」と「言ってはいけないこと」の間に「言うと自分の評価が下がるもの」がかなり存在します。
他人に心を打ち明けて何が欲しいのでしょう?
同情? 共感? 慰め?
口にしたことが回り回って自分へと返ってきます。
まとめ: 漢の道はとにかく険しい!
ここで挙げてみましたが、かなり多いですね。
まだまだあると思います。
それはつまり漢としての生き方をするにはかなり険しいのだと言うことがわかります。
しかし、だからこそそれができている”漢”と言うのは希少であり、少数のかっこいい存在になれるのかもしれません。
是非とも目指してみましょう!