どうしてもやらなきゃいけないことって
「どうしてもやらなきゃいけないことってないんだよ」
「心(からだ)の声を聞いてあげてないから足に活気がない。」
これを言われた時はかなり衝撃的だった。
私こんなにいろんなことして動き回ってるのに?
人一倍行動しまくってるのに
私の足、活気がない?!
言われてから少し経ってからぽわんと浮かんでくる。
私の行動のほとんどは
頭で考えたものなんじゃないかってこと。
こうして今noteに書いてるのも
頭で考えたことかもしれない。
残しておいた方がいいだろう、
後から見返したときにためになるかもとか。
頭で考えた打算的なものなのかも。
そう思うとちょっとがっかりもするが
頭で考えたことが全部悪ってわけじゃないと思うので
書き始めたので書けるところまでいってみる。
私達が「どうしてもやらなきゃいけないこと」
実はちゃんとある。
それは自分を大切に扱うことだ。
自分を大切に扱えてないのであれば、
それに変えてまで、「どうしてもやらなきゃいけないこと」はない。
自分を大切に扱うってどういうことか
それは、ただ自分の体の欲求に素直に従うことである。
ちょっと眠いなぁと思ったら眠り
ちょっとトイレ行きたいなぁと思ったらトイレに行く
今はお腹すいてないなぁなら食べない
こういうことをきちんとやることである。
それは大袈裟じゃない些細なこと簡単なことだ。
生まれてきてから幾度も幾度もやってきている単純な欲求なのに、
単純な欲求だからゆえなのか、簡単にそれを抑えてしまう。
無視してしまう。
そのうち我慢の限界が来て
抑えた欲求をギリギリのところで解放でして
トイレに行ったり、眠ったりする。
欲求を抑えられた体はどうなるのか。
悲しくなるのだ。
簡単に考えればいい。
自分が何かを訴えているのに
誰もこっちを向いてくれない。
最後の最後で渋々と欲求を聞いてくれる。
いつもいつもこんな状態。
悲しくならないわけがない。
体は生まれてから休みなくずっとずっと
動き続けている。
心臓を動かしてくれている。
息を吸って吐いて意識しなくても生きている。
生かしてくれている。
それなのに無視してたのかぁ、そうかぁって思ったら
悲しくなって涙が出てきた。
同じ頃に読んだ本の中で
自分の中に神様がいるということが書いてあった。
「神様=自分」の法則。
自分の潜在意識のその先、直感や第六感は神様だということ。
読んでてすごく納得して腹落ちする感覚があった。
その日から私の中に(からだ)に向かって
声をかけることにした。
夜眠くなってきた時に
「神様そろそろ寝ましょうか。今日も大変素晴らしかったです。
ありがとうございました。ゆっくり休みましょう」
そんなふうに丁寧に声をかける。
自分じゃなくて神様だって思ったらするりと大切にできた。
神様のためにもうちょっとキレイにしとこうかな、と掃除をしたり
神様のためにと旬のフルーツを迷わず買えるようになったり。
これをはじめて少し経つが
お通じが朝ごはん前にくるようになり、足が少しすっきりしてきた。
神様のためにそろそろ寝ることにします。