見出し画像

蠍座の終わりに。

うまく説明出来ず
書こうと思ってもぐだぐだになってしまう。
抽象度をあげることの大切さをいま感じている。
ここまで書いて気づいた
誰に説明しようとしているのか。

自分の中からの思いをそのまま書けばいい。
誰かに向けて書こうとするから
うまくやろうとか、共感させようとか
そういうよこしまな気持ちが入って文章がくどくなる。

蠍座のシーズン終わりに思いがけず深く自分の中に潜っていた。
それを伝えたくてあれこれ書いてみたけど
簡単に書けなかったので寝かせておいた記事がある。

それを横目で見ながら
私のために私の心の中に渦巻いているものを
そのまま出せばいいんだなって
改めて思ったら急に書けるようになった。

そこすら他者視点に侵食されるのかと愕然とした。
ここ数日の合図は自分のために時間を使えてるかってこと。
ついとか、なんとなくとか、私がやったほうがいいかなとか
簡単だしなとか、少し無理したらとか、そういうもんだよねとか
そういうものがすぐに顔を出す。そういう癖がついている。
癖の負債は積もり積もって私の気持ちを見えなくさせる。

気持ちが見えないと他者のために自分を無くする。
他者の世界は自分がいなくても回る世界なのに
自分の世界は自分がいないと回らない世界なのに
そういうものを忘れてしまう。

先日みた映画、「すずめの戸締り」
過去の大きな出来事、日本中が知っている出来事が根底に入っている。
大きな出来事だったのにどんどん時がたって風化してくる。

忘れてなかったけれど、忘れている。
忘れていたからこそ、生きることができた。
闇の中で生きるのか、忘れて光の中で生きるのか。
光の中で生きてきても根底には全部残っている。
それにきちんと向き合い、思い出し味わい、確かめ受け取り
そしてまた生きる。

出かける前に戸締りしたっけな?ってもう一度振り返ることがある。
引っ掛かりがあれば素直に戻ればいい。
素直にドアを引っ張ってみればいいのだ。

奥の奥の自分の根底の癖、これはどこから来るのか
それに向き合って、認めていく。
自分の気持ちを押し殺していた原因は何?
他者に自分の世界を明け渡しそうになるのはどうして?
そこに向き合えた時に初めて自分が自分のために世界を回せる。
自分のために生きることができる。

振り返り、ちゃんと戸締りして、前を向いて進む。
行きたい方向に踏み出す。
踏み出す一歩は小さくてもいい。いく先だって大それてなくていい。
ただ、気持ちよく一歩を踏み出したい。
それだけだ。


いいなと思ったら応援しよう!

mikapico
よろしければサポートお願いします🧚‍♀️✨パワー💕アップ