七夕の願い
夕方、会社から帰ってくるときに空がすごく晴れていた。気温もちょうどいい。先々週まで35度くらいの猛暑だったのが嘘のよう。
風が吹き抜けていてとても心地の良い夕暮れ。
ずっとこのくらいの夏だといいのになと思いながら歩いてた。
七夕の日に晴れてるのってなんだか珍しい気がしてる。
今日は娘のお迎え当番だったので自転車で保育園へ迎えに行った。
保育園では子供たちは各自七夕飾りを作っていた。今日はお持ち帰りの日。
七夕飾りはテラスの塀に並んでいた。
先生が娘の七夕飾りは一番たくさん飾りがついてるやつですよ!って
ニコニコしながら教えてくれた。
おお!確かに立派!!素晴らしい出来!
工作大好きなのをいかんなく発揮している。
娘が七夕飾りを抱えて自転車の後ろに乗り込んだ。なかなかいい感じ。
笹が自転車の勢いでゆらゆらする。飾りもなびいていく。
家に帰ってしばらく経つと、笹もカラカラに枯れちゃうので
どうしようかしらこれ、ってなるんだけど
自転車に乗って持って帰る時は、
みんなにお披露目しながら帰ってるようでとっても楽しい。
娘も自慢げにたなびかせている。
今日は七夕だから願い事書きましょうなんて誰かがTwitterでつぶやいている。願い事かぁなんてぼんやりしてしまった。
新月の願い事は半年後に見返す楽しみがあるから毎月書くのだけど、
七夕の願いここ数年書いてないかも?何書く?どーする?
なんてぼんやり考えていたときに、のびたまごさんから
《七夕⭐️2-Oracle》が届いた。昨日申し込んでおいたのだ。
私にいま必要なメッセージとしてカードを2枚引いてくれた。
美しいメッセージに胸がいっぱいになった。
”私が望むままに、欲しいものを欲しいと言い、素直に手を伸ばし、それに触れ、味わい体験し、そしてまた自分を知ること。”
それは私がこのマガジンで何度も言っている、自分の輪郭をはっきりさせること、この世に自分をつなぎとめるために書くこと発信することと繋がっていると感じられた。
私が日々めまぐるしく思考し、心にまっすぐに発信し、行動し、それは全てが魂の願いであった。どんなことをしていても私は私を許していく。
わがままでいいのだ。
わがままに生きる私を愛することが、私の魂が本当にしたいことなんだ。
わがままな自分を愛することをしたいって考えてたら涙が溢れてくる。
あの時の行動も、あの日の行動も全部全部許していっていいのだ。
今朝私が読んだタロット。
今日は言葉がなかなか出てこなかったのだけど、
あ、そういうことかなと思って書いた言葉。
迷いながら立ち止まりながら
これでいいのかなと思いながら進んでいる。
これだと思ってやってみても、やっぱり大丈夫?という
不安な気持ちが顔を出してくる。
ずっと信号機がアオであることなんてないんだ。
赤になったり、渡れると思ってたのに黄色になったり、
急に誰かが飛び出してきそうになったり、点滅してたり。
こっちの道でもいいのかな?あってる?なんてすぐに思ってしまう。
迷いながら、止まりながら、すこしずつ進んできた。
他の人から見たら爆速で進んでるように見えるかもしれない。
でも私の中では深海に潜ったり、宇宙まで飛んでいったり行ったり来たりを繰り返してるのだ。
どこまできてるのか不安になるけど、
進んだ証は振り返れば確実にあるのだ。
スタート地点はもう見えない。確実に前の私ではない。
どんなことをしていてもいい。明日気持ちが変わってもいい。
やりたいならやるし、やめたいならやめてもいい。
どれも私の魂は望んでる。わがままにいなよって。
この七夕オラクルは
願いの奥にある祈りが裏テーマになっているって
のびたまごさんがメッセージをくれた後に教えてくれた。
祈りとは自分の中の神と繋がること。
私の中の私。一緒に旅をしている片割れ。
心地よい夕暮れに深呼吸して空を見上げると
体の中に空間ができる気がする。
そんな時はきっともう一人の私も
のびやかに居るんだろうなって気持ちになる。
もう一人が窮屈にならないように
たくさん深呼吸して体を自由に空間を作っておこう。
心を広く、わがままにのびやかに気持ちよく生きよう。
七夕の願いはこれにしよう。
今日はここに着地。