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チョコモナカジャンボをたべよう

朝起きて、仕事にいけなくなった

いかなくては、と脳は認識しているのに
心臓がばくばくして
ソファに沈んだ体を起こすことができなかった。

そしてとうとう、わたしは社用携帯を取り出し、
メッセージアプリを立ち上げた。

「今日、お休みします」

深く深く、そこの底まで落ち切った体で
ひともじひともじ、打ち込んだ。
そしてひどく、落ち込んだ。

その日のわたしは
いちにちソファにいて、
やわらかい羽毛布団にくるまって
たくさんたくさんねむった。

そしておなかはひどくすいていたので、
ひたすら食べていた。

たまごをいれて、くたくたに煮たキムチうどんに
油多めでふちかりかりに焼く、
私好みに焼いた目玉焼きを、
ご飯にのせた目玉焼き丼
締めにはチョコモナカジャンボ。

このときの私がなにをおもっていたのか
書いて残しておきたいと思うのに
いまの私にはまったく思い出せない。

この文章を書いている今の私には
1週間前のわたしのことが
半年前くらいのわたしのような
ずっとまえじゃないけど最近でもない出来事のように
ぼやぼやとした輪郭部分しか思い出せないのだ。

わたしたちにんげんは
こんなふうに
嵐のただなかにいるとき、
ただ生きるしかできないことが
あるのかもしれない

脳みそを停止して
ただ生きるためだけに存在するしかない
ときが、一生のうちにあるのかもしれない

わたしたちにんげんなんで
大きなくくりで書くのも
おこがましいかもしれないのだが
同じように嵐の中にいるひとが
どうしたらいいかわからないでいるとしたら

「ただごはんを食べ」
「ただねむる」

それをしたっていいのだよと
伝えておきたいのだ。

たぶん、本当はもっとがんばれる。
その自分を知っているから、
うしろめたくなる
いま、そこに落ちているじぶんを
ふるいたたせなくちゃって焦ってしまう

でも、がんばったら
そのさきに、いったいなにがあるのだろう
いったいなんのために
がんばるのだろう

わからないまま走るのは
もう限界なのかもしれないね

さきがみえないままのマラソンは
あまりにも地獄だ。

もっと気楽にいきよう
ただ、生きてみよう
おなかが満たされたら
マラソンの先を考えよう
とりあえず、チョコモナカジャンボを食べよう


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