ぼろぼろこぼれるようにかくこと
NOTEを書きたいかきたい書きたいかきたいと
無性に思う瞬間がある。
その瞬間が訪れる確率が高いのが、
本屋と銭湯。
今日は本屋。
昭和38年刊行の
「巴里の空の下オムレツのにおいは流れる」
の旧書体を目で追っているときだ。
その本は、母が生まれた5年後くらいに刊行されている。
刊行からすでに50年以上経過していて、
バターを「バタ」と表現したり、
戦時中の大変さを昨日のことのように語ったり、
文体や時代背景からはしっかりと時の経過を感じる。
でも、オムレツに関する描写を読んでいると、
黄色の、表面がぱんとはった、
ぽってりとしたオムレツの映像が今、目の前にあるかのごとく
感じてしまうのだ。
こういう本に出合った時に
ことばって、やっぱりいいものだと
改めて思うし、
わたしもやっぱり書きたいなって思う。
どうしても、書くときに
「どうみられるか」
「おもしろいかな」
そんなことばっかり考えて、
つい、文字に起こすことを
辞めちゃうことも多いんだけど
そんなとき私は
石田ゆり子さんの「天然日和」という
エッセイを思い出す。
以前、友人からゆり子さんの別のエッセイを
もらってから、わたしはすっかりゆり子さんの
ことばのファン。
ゆり子さんもうんうんうなりながら
言葉を書いているのかなぁなんておもっていたら、
「天然日和」の中でそうではないことを
語っていた。
自分が考えていることや感じていることを
思ったままに書いているとそのエッセイには書いてあって。
そうか、そうか。
その人がそのひとのくちから、
てから、ぼろぼろとこぼれだすように書かれているものに
わたしはひかれるのだなぁ。
さくらももこの「もものかんづめ」が小学校のころから大好きなことも
そこでおもいだした。
なにげなく、友達に語るみたいに、
「昔ね、こんなことがあってね・・・」
「そういやさ、今日こんなこと感じたんだけど・・・」
って話してくれるようなエッセイや、
話してくれる人が大好きなわたしなんだから、
わたしもぼろぼろと
こぼしながら書いたらいいんだよ。
それが、どこかの誰かの目に留まり、
「ああ、わたしもこぼしてみたいな」と思ってもらえたら
それが最高なことだと
わたしはおもうのです。
は~こぼしたこぼした。
また気軽に
ぼろぼろこぼそう。