自分のやってることに不安になったら。
わたしはすごく出鱈目な人間なので
やってることに
一貫性がありません。
ここ数年
自分の生きる道を探るために
古民家でお味噌作り教室をやってみたり
働き方改革の講師をさせてもらったり
大人のための文化祭を企画させてもらったり
東京の某区主催のイベントのお手伝いを
させてもらったり
住んでる市の防災無線について考える委員になってみたり
心理学の講座にいってみたり
それはそれはそれは
飛び散る線香花火🎇のごとく
あっちゃこっちゃに
興味のあるものを見つけては
飛び出して飛び込んで
側から見たら
「あの人は一体、
なにになりたいんや…?」
と思われてることと
存じます。
いっときは
それが本当に恥ずかしくて
イヤでイヤで
自分という人間が
ぜんぜん軸のない人間に思えて
人間的に薄っぺらに感じて
なにもかもをやめて
ひっそりとサラリーマンを
していた時期もありました。
だけどもだーけど。
元来火の玉やろうな気質のアタクシ。
やっぱりひっそりなんて
してられなくなって。
今はまた
新たな学びを
始めています。
いっこいっこやってきたことは
人から見たら出鱈目でしょう。
それでも、わたしは
ひとつひとつの経験から
自分の中にすこーしづつすこーしづつ
積もっているものがあることに
気がついてきたのです。
勉強会やイベントで出会う人とのご縁の数々。
防災無線の委員をやったときに見つけた
市の温浴施設は今もお気に入りの場所。
勉強会の開催地が
初めて降りる土地だったりすると
ステキな散歩道や
気持ちのいい公園に出会うこともある。
出鱈目でもいいじゃない。
一貫性がなくてもいいじゃない。
なにかやれば
なにかに出会う。
犬も歩けば棒に当たる。
そして、やってみたらいつだって
「好きじゃない」ことがわかったり
「ピンとこない」ことがわかったり
「なんとなくときめく」ことがわかったり
「よくわかんなかった」ことがわかったりする
絶対に絶対に
「何かはわかる」んです。
だから、もし、
自分のやってることに不安になったり
こんなことしてていいのかなって
思ったら
「何かはわかる」って
思ってみて欲しい。
それが本当にやりたいことで
なかったとしても
ひっそりと自分の中に
積もってるものはあると思うのです。
そして
好きなことを見つけることも
好きじゃないことを見つけることも
どっちかわかんないことを見つけることも
どれも大切な経験だと
思うのです。