秘想レモネード!

※オリジナル監督生有ります※


うだるような暑さが続く夏。
どこからともなくジーワジーワと蝉の鳴き声が聞こえる午後。
まるで日本の夏だなと熱にあてられた頭でぼうっと思った。

植物園の外側に生い茂る木の影を日除けにベンチに座っていると、突然首元にヒヤリとした感触が訪れあまりの唐突さに体が跳ねた。
「ヒェッ…な、何?!」
「何をやっているんだ、こんなところで」
見上げると、スカラビア寮副寮長の”ジャミル・バイパー”が何色をも映さない灰色の瞳で自分を見下ろしていた。
「ジャミル先輩…吃驚しました。俺は寮に戻るところで…ちょっと休憩してて。ジャミル先輩こそどうしたんですか?」
ん、と短い返事とともに首筋を冷やした元凶を差し出してきて思わず受け取る。…どうした、の答えにはなっていないように思うが。
「これ…なんですか?飲み物ぽいですけど」
「熱中症対策にカリムに作ったんだが作りすぎてしまってな」
「へぇ…。いただいても?」
「その為に持ってきた。…いらないならこちらで処分しよう」
「もう、なんで毎回そんな事言うんすか。いらないなんて今まで言った事ないですよ俺」
そう、知り合ってからというもの何かと作りすぎたと言い食べ物や飲み物を持ってきてくれるのだ。
自活力がなさそうだなぁとか思われてるんだろうなぁと少し悲しくなる。
それでもジャミル先輩の作るものはどれもこれも美味しい。
流石、カリム先輩の側近だけあるなと関心する。

横に座るジャミル先輩を横目に、ボトルの蓋を開けてこくりと液体を喉に流し込んだ。
鼻に抜ける爽やかな柑橘と、舌先に感じる甘味と奥に残るほのかな苦味――レモネードだった。
「ん、美味しい…。レモネードですか?」
「ああ」
「これ…塩入ってます?はちみつの甘さじゃないですよね」
「ほう…よく分かったな」
「直接な甘さじゃなくって、なんか…引き出された甘さって感じがして。それにさっき熱中症対策って言ってましたし」
「そうか、そこまで知識を持ってるなら自衛くらい出来ただろう。余計な世話をした」
「とんでもない。これだけ暑いのに今日あまり水分とれてなくて…生き返る心地でした」
「ふ……大げさな奴だな」
吊り上った目が頬骨に押し上げられ更に細くなる。
ジャミル先輩も同じものが入っているであろうボトルに口をつけ、こぽこぽと小気味良い音をたてて飲みだした。
上を向く顎から喉元にかけてのラインが背景の緑にくっきりと浮かび上がる。
こくり、こくりと喉仏が上下する様を思わず呼吸も忘れて見惚れてしまう。

「…美味しくなかったか?」
その言葉でハッと我に返った。
一口目を飲んだきり、ジャミル先輩に見惚れて続きを口にしていなかった。
「い、いえ、美味しそうに飲むなーって思って。いや実際美味しいんですけど」
「なんだそれは」
苦笑する先輩にアハハと誤魔化すように笑ってくぴくぴと飲んだ。
乾いた喉に沁みる冷たいレモネードは、砂漠の中のオアシスのように心地が良い。

「…カリム先輩はいいな」
ぽつり、と思わず口をついて出る。
ただの独り言で、深い意味は…ないつもりだった。
全部飲むのが勿体無く感じた。しかし、残すのも嫌だった。
主人であるカリムならいつでも作ってもらえるんだろうな、なんて思ってしまったのだ。
「…?どういうことだ」
ジャミル先輩が少し警戒するような面持ちで自分を見る。
そうか、そうだ。この人は”カリム・アルアジームの従者”だ。
主人を羨む声は、主人に仇なす者になり兼ねないのだ。
「いえ、こんな美味しいレモネード…レモネードだけじゃなくて、いつも美味しいもの作ってくれる人が傍にいていいなぁって」
本心は、違う。
でも今はこれくらいしか言える事はない。
言葉の真意を得ようとジャミル先輩は眉を顰めて自分をじっと見る。
何をどう言ったら引いてくれるだろうかとグルグル考えてしまう。
本音が言えてしまえば楽だろうが、それはきっとこの人ともう会えなくなる事を意味する…気がする。
それだけは嫌だった。それだけは、我慢ならない。
自分の想いを秘めてでも、この密かな逢瀬を続けたかった。
「……そうか。まぁ俺が作れば毒味も必要ないし栄養も考えられるからな」
そう言って、ジャミル先輩は視線を外した。
よかった、と内心ホッと息を吐く。
「そうですよね」
「ああ。…っと、そういえばカリムから君に伝言があるんだ」
「俺に?」
「なんでも食事に招待したいそうだ。君さえよければだが…」
「是非いかせてください、いつです?」
「あー…すまない、日にちは追って連絡する」
「わかりました、気にしないでください」
「ではカリムに伝えておくよ。…君、此処は比較的涼しいがもっと空調が利いたところに移動したほうがいい。ではな」
ベンチから立ち上がり、振り返ることなくひらりと手を振り鏡舎へと向かうジャミル先輩をぼーっと見送る。

陽炎のようにゆらめく後姿はまるで夢の中のようだったが、手に持っている冷たいボトルが現実だと教えてくれる。
その内温室の向こう側へとその人影は消えていった。

ジャミル先輩の忠告を頭の中で反芻しながらベンチから立ち上がる。
確かに陽も傾いており最初に来た時より影の位置が大幅に動き、ベンチ自体が陽に晒されそうだった。
「…あ、そうだ。早く帰らないとグリムが怒るな」
ボトルを持つ手の反対には小さな袋。中には缶詰。
所用が出来てしまったため、予定していた寮内の掃除をグリムに頼んでいるのでその報酬だ。

わずかな木陰から身体を出すともう夕方にもなろうという時刻だというのにカッと日の光が肌を焼いた。
ジリジリと焼けるような光の感触を感じながら”オンボロ寮”へと戻っていく。

レモネードのお礼は何がいいだろうか。お招きのお礼は何がいいだろうか。
そんな事を考えながらオンボロ寮に着く頃には、飲み干すのが勿体無いレモネードは少しぬるくなっていた。

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