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模型の季節

写真を撮っていると、毎年花が咲くたびに「また、ひと回りした」と思う。春が始まり夏が来て、あっという間に秋が終わって冬が訪れる。変わらず毎年花が咲く。その繰り返し。

同じ花を撮ることに飽きてファインダーを覗いただけで辞めてしまうこともあるし、去年との違いを見つけようと同じアングルで撮ることもある。変わるものと変わらぬもの。季節は繰り返されることを知っているから、写真の中に時間が過ぎたことの痕跡を見つけられる。

花は毎年変わらずに咲くことに意味がある。

1_桜花+トレーラー 2

すこし季節外れの花の話をします。これはプラモデルの飛行機。桜の花の名前が付けられたこの兵器が何なのかの説明はここではしません。

模型を作る時の「季節」が大事だと思うことがあります。例えば、新発売のプラモデルなら旬に咲く花のように楽しむことができます。人より早く「走り」を味わったり、遅れて「名残り」を惜しんだりすることもできます。

では、既に時期を過ぎたキットは何に導かれて手を伸ばすのだろう。出会いは偶然であっても、作る時の季節が模型に影響します。模型を作る季節の違いによって、「模型の置かれる場所」は変わってきます。

..去年の夏にこの飛行機のプラモデルを作った。8月の戦争に負けた日に写真を撮った。モチーフを語る視線は必然的に日本人と戦争という話になる。

..この飛行機の名前の如く桜の花の咲く4月なら、美しく散る花の季節だったとしたら。語るに恐ろしい。

..先の見えないこの2月に作ったとしたら、今の何が見えてくるのだろう。

桜花と消しゴム 2 2

季節はなくても言葉は並べられる。模型は変わらずそこにあります。だけど模型を作る場所はそれぞれに違う。身の回りの些細な出来事、ネットで流れるニュース、窓辺の光の色。誰もが個人的な世界の中で模型を作っている。それぞれの時間の中に模型は存在しています。

これを誰かに話したいと思った時に、自分の経験という「見えないもの」を伝えるためには、他の誰かと共有できるツールが必要になります。

その人のポケットの中身は写真に写らないのと同じで、誰にも見える何かに託して語る必要が出てくきます。

俳句に季語が必要な意味を考えると、すこし面白くなります。5・7・5のわずか17文字で描かれているのは風景だったり出来事だったりするけど、それは全て言葉に置き換えられたもの。言ってみれば言葉は現実を写しとった模型です。当然に模型は現実のものではない。これを他の誰かが見てその人の目にも見えるリアルな情景として再現するために必要なツール。それが季語です。

誰もが共有可能な季節という時間の記憶。それをベースに17文字の世界が見える形に変わります。

それが花である必要はないのだけど、模型にも花が必要だということです。

梅

575・77の31文字。短歌に季語が必要とされてないのは何故? という疑問を持つ人もいるでしょう。歌人でないので確かなことは言えませんが、俳句と短歌の間には、写真と映像の中の時間の違いと似た仕組みがあると思っています。この話はまた別の機会に書くつもりです。




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