忘れるということの功罪
さっき駅から家まで歩いて帰ってくるときにめっちゃ風が吹いてました。
えーまさかーもう台風の影響なのー?
ビビるわ。
今日も暑かったですね。
たぶん、暑かったはず。
会社に入っちゃうともう帰るまでは外の気温がわからないので季節感はゼロなんですが、朝の通勤時に駅まで徒歩数分のくせに耐え切れずに思わず日傘を差したのできっと暑かった。
なんかもう最近は朝のことなど忘れてしまうわ。
よっぽどの何かが起こらない限り、淡々と続く日々のことなど忘れてしまいますね。
ずっと覚えていようと思っていたことさえ、時間が経つと記憶が怪しくなっている。
まぁそれが人間のいいところなのかも知れません。
いろんなことを忘れてしまうから、明日以降も人は生きていけるのかも。
うれしいことはいつまでも覚えていたいものですが、例え忘れてしまっても、うれしいことはこの後にもきっと起こるだろうから心配しなくてもいいや、とか。
そんな風に思えたら結構気分が楽かもしれん。
この一瞬だけが幸せだとか、今だけが楽しいとかこれだけが生きがいとか、そんな風に思って生きてるとあんまりにも刹那的過ぎて、きっと幸せを感じるハードルが高くなってしまうんじゃないかな。
私なんか幸せのハードルがめっちゃ低いので、わりとのほほんと生きていますが、それでもいちいちくだらないことで落ち込んだりするわけですよ。
相変わらず、私の応援しているプロ野球の球団は調子が良くなくて、うしろ向きな気分になったりもするんだけど、それでも別に私は平気で暮らしてるわけで。
もうなんていうの、「そんなこと」はマジで人生において取るに足らないこと、なわけ。
いろいろ嫌なこともあっても、まぁ、人は忘れるから。
その一瞬の、嫌な記憶も、辛い思いも、不愉快な気持ちも、悲しいことも。
感情が薄く延ばされて、例え完全に消えてしまわなくても。
いつか思い出してオエェエエなんて思わない日が来るものなんですよ。