見出し画像

日記を書いていて思うこと



久しぶりにnoteを書こうと思い立ってアプリでエディターを開いたら、文字入力欄に「こんばんは。お体にお気をつけくださいね。」という文字がうっすらと浮かんでいた。優しい世界…。

noteにnoteのスクショを
貼るなんてことがあっていいのだろうか


日々、仕事でスピード感を求められて数字や生産性のことばかり考えいると、どうしても「この仕事は本当に目標に対して意味があるのか」の視点ばかり強固になってしまって、今の私の仕事は社会や人の未来にとってどうなのか、という広くて長い目線や、人にとって嬉しいことってなんなのか、みたいな純粋な目線を見失いそうになるときがある。

だからこそ、他の企業がこうして成果直結ではない(おそらく承認をとるために裏側では何かしらあるのだろうけど)優しさを散りばめているのを見るたびに、なんだか温かい気持ちになる。純粋な優しさに見えるものを散りばめることにGOサインの出る会社があることに、ほっとする。

ありがとうnote。
体はわりとぞんざいに扱ってる方だと思うけど夜更かしはほどほどに気をつけるよ!(返事すな)


---

タイトルとかなりずれた前置きをしてしまった。本題に入る。

最近、ほぼ日5年手帳というもので日記を書いている。


名前の通り、5年分の日記が書ける手帳で、5年間の同じ日が1ページにおさまる構成。

始めたきっかけは、私がとても尊敬している元上司が使っていたから。

元上司が、日記で○年前の同じ日の記録を見て「そういえばこのとき、この人と会ってたな」とか思い出せて人と再会するきっかけになったりするんですよねと言っていて、それはいいなと思ってすぐに買った。

人のことを思い出したり連絡するきっかけなんて正直なんだっていいんだけど、歳をとるとどうにも無邪気に連絡することを躊躇ってしまうもので。

今までは、頻繁に会うわけではないけれどたまには会いたいな、くらいの距離感の友達はお互いの誕生日を機に連絡して会うことが多かった。誕生日って自分と相手の分を足しても年に2回だし、人とゆるく繋がり続けるために程良い言い訳だな〜と思っていたところだったので、もうひとつ言い訳の手段が増えた気分で嬉しい。

そんな気持ちで書き始めて4ヶ月くらい経つのだけれど、最近ふと気づいたことがあって。

日記を書くのが習慣化して数ヶ月、成人してから過去最長レベルでメンタルが落ちていない。

私はそこそこ暗い人間な上に呼吸するかのように考え事をしてしまうので、沼にはまってどうしようもなく落ち込むことがよくある。それこそ日記を書き始めたばかりの頃は頻繁に「しにたい」「眠れない」「疲れた」ばかり書いていた。

別にその暗い感情を書かないでおこうと思っていたわけではなくて、ただただ毎日の出来事と思ったことを、ネガティブもポジティブも関係なく5行くらいサラッと書き続けて数ヶ月。

2ヶ月目くらいから「しにたい」が格段に減っている。昨日何気なく読み返していて、無自覚だったので、マジか!そういえば最近絶望的に落ち込んで動けなくなるターンきてないな!と思った。

何の根拠もないから完全な勘だけど、多分これ、日記のおかげでメタ認知力が上がっていて、そのおかげで感情を持て余すことが格段に減っている気がする。

感情を持て余してしまう理由はきっと、
毎日忙しなく生きていると、色々なことをものすごいスピードで見たり聞いたり考えたりしていて、それを精査しないまま次から次へとそのへんに放り投げたり、咀嚼せずに飲み込んだりしているので、一体どこからどこまでが私の本心で、どこからがそうではないのか、というのを見失ってしまうのだな、と。

自他境界はかなり明確にひいている側の人間な自覚があったとはいえ、それでも社会のスピード感にくらいついていく中で、その境界線上に自分と外部との色々な感情や出来事がすごいスピードで乗っかっていって、境目が見えなくなっていたな、と思った。

たった5行だけど、24時間ごとに文字にして視覚で「私はこう思った」を認識して、数日経ってからもたまに読み返して客観的に過去の感情を眺めることで、私は今どこに立っていて、何が嫌で、何が嬉しくて、何がめんどくさくて、何が悲しいか、ということにきちんと自覚的になれる。

しかも日記なんて他人に見せるもんじゃないので、人と関わっていると多々ある「私はこの人たちからこう思われてるだろうから、(あるいは○○な役割を求められているだろうから)こういう発言や振る舞いをしておこう」みたいな、変なチューニングが入らずに、純粋に自分の思ったことをポンと書ける。

ここまで書いてて、だからなんなんだって気持ちになってきてる自分もいるけど、つまり、5年日記おすすめです。

今の時代はSNSをちょっと開くだけで洪水のように色々な人の感情や意見が流れ込んできて、それはたしかに他人の覗けそうで覗けない部分だったりするから刺激的だし学びもあるけれど。あまりにも浴びすぎると、どこからどこまでが私で、どこからが「これも私」と勘違いしてしまっている他者の寄せ集めのハリボテの意見で塗り固めた私なのか、というのがよくわからなくなってしまって、多分私はそういうのもあって頻繁に疲れて落ち込んでいたのだなと、今更気づいた。

これからも、どこの誰にも精査されず評価されない私の感情を、この日記に自由気ままに書いていこうと思う。どんな気持ちを書くかも、その書いた気持ちについてどう思ってどう評価するかも、決められるのは他の誰でもない私だけなんだと思うと、なんだかものすごく特別なことに思えてくる。5年後には色々な感情の積み重ねで呪物みたいになってないかがちょっと怖いけど。

私だけのものと言いつつ、きっと1年も経てば書いてあるほとんどの感情は笑い話になると思うので、1年前の今日の私はこんなこと思ってたらしいですよ〜ってnoteでも書こうかな。

というわけで、みんなもほぼ日5年手帳、やりましょう!ちなみに専用の下敷きも売っていて、書きやすいので一緒に買うのがおすすめです!おぱんちゅうさぎとかもあるよ!

おしまい!

いいなと思ったら応援しよう!