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できないことを責める私よ、些細なできることをし続けよ。つか、それしかできんし。

書いては消し、書いては消し。言葉が虚しくなる時って、あるね。

2月初めの週に、職場で関わってきたお子さんの一人が亡くなった。急すぎて、消化しきれない。

重い障がいがある彼ら。
姪っ子が赤ちゃんの時以来のオムツ交換も、食事介助も、入浴介助も、看護師さんも一緒に働く現場で働くのも、全部、初めての体験。
お子さんによっては食事をするだけでも60分かかったり、帰宅した夜に高熱が出て、誤嚥性肺炎になっていたり、腸にガスが溜まりすぎてお腹がパンパンだったり、胃から食べ物を注入する子もいるし、気管切開している子もいる。

亡くなったお子さんは、寝たきりが多い利用者の中でも珍しく、フラフラとではあっても立って歩けて食事もスムーズに飲み込みができるお子さんだった。(咀嚼なしでほぼ飲み込む形ではあるけれども)

気管支が弱いお子さんで、冬の時期はよく熱を出して入院にまで至ることが多いようだった。
季節の変わり目など、震えるようなてんかんも出ることがある。

目を細めて笑う顔が嬉しかった。何に一番反応するのかな?どんな曲がお気に入りなのかな?痛覚の鈍化が見られるようだけど、どうしたら自分を痛めつけるのを抑えることができるんだろう。もっと気持ちがわかりあう方法はないかな。観察と試行錯誤の繰り返し。

環境を整える一人として仕事をやりきれないままに、幕を閉じられた感。

その子はその子の運命を生き切った。生まれる前にいた世界に、帰って行っただけ。そうだとしても、自分の未熟さが悔しくて、もっとできることがあったのではないかと、思ってしまう、傲慢さよ。

少なくとも、未熟で傲慢でもいいから、この悔しさを忘れてはならない。

そして、彼が一番笑ったのは、忘れ物を届けにきたお母さんの声を聞いた時だった。宝物のお子さんを亡くしたお母さんのお気持ちが少しでも平安でありますように。天国から、KちゃんがKちゃんご家族を見守ってくれていると心から信じている。

さあ、悔し涙を流したままでもいいいから、私は私ができることをしよう。

みかん
2024.2.27

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