小説 蘇校 第二章

 2章  悪夢
─side宵宮氷  10月17日  8時
「─起立、礼!」
「みなさん、おはようございます」
 また始まった、と俺は思った。
 一時限目授業だ。一時限目は、確か歴史が入っていたはずだ。社会担任の佐野先生が教卓に教科書を並べる。つまらない気持ちのまま、窓を見る。
 あれから、俺は10カ月を過ごしたのかな、とふと思う。正直、実感は無かった。俺はあの時狂ったはずだが、なぜだろう。今ではこっちにも知り合いがいるし、先生にも尊敬されている。この学校は、小中高一貫校で、何十年も前からあったらしい。日本中で名を馳せるほど運動が強く、それはいつしかの戦時中からの教育が今も残っているのが理由だ。佐野先生が言っていた。
 そんな、男らしく、女らしく、気が強そうな学校に関わらず、俺は転校生として歓迎された。
 俺は前回の学校より良い感じに過ごせそうと確信したが、気分はそこまで上がっていなかった。
 なんだろう、静かな海底を一人で歩いているような、そういう孤独も悲しさも音も痛みも何も感じない、安心感と浮遊感が行き交う心境だった。
 そんないままでとは違う俺は混乱し、完全に疲れきっていた。
「─う、氷!」
「、、、え、あっ、何かあったか?」
 危ない。
 前のことを思い出していたら、うっかりこっちのことを忘れていた。
「赤ペン忘れたからさ、ちょっと貸してくれない?」
「あぁ、そゆこと、いいよ」
「サンキュ!」
 俺は赤ペンを突然呼んできた後ろの席の彼に渡した。
「え、ちょっと、持ってなかったの?これは先生に言おうかなー」
と、隣の席の女子が小声で加わってきた。
「わ、指導室1じゃん」と、斜め後ろの席の女子も加わる。
「黙れ!ほら、その、次から持ってくるからさ、見逃してくんねっ?」焦ってぎこちなくなっている彼を見ながら、俺は「今回だけな」と笑った。
「さぁ、ここを─宵宮くん、読んでくれるかな」
「あ、はい!」
 俺は慌てて立ち上がり、椅子をしまう。
「63ページからね」
 教科書のページを捲る。
 すると、見たことの無いページが現れた。
「、、、え?」
 63と表記されているのだが、そこには字が書かれておらず、ただ、古風な家の写真が描かれていた。この建物は─
「俺の、ばあちゃん家?」
 呟いた瞬間、ものすごいスピードで、見たことのある風景たちの写真が入れ替わり出てくる。
 銭湯、古風な家、駄菓子屋、古い学校。さだ、わらべ、わさび、日向、ばあちゃん─
 どんどん音がページに吸い込まれていく。そして、バチン、と電気のスイッチを押したような音が鳴り、はっと我に返る。
「ねぇ、早く読んでよ」
「!?」
 見たこと無いくらいに暗闇に包まれた教室で、生徒の声が聞こえる。
「早く」
「早くして」
「読めないの?」
「優等生だと思ってたのに」
「信じてたのに」
 やめろ、やめてくれ。うるさい。
 勝手に信じてただけだろう?
 これ以上、俺を攻めないでくれ。
 これでも頑張ってきたんだよ。
「裏切った?」
「じゃあいらない」
「裏切り者」
「死ね」
 だんだん、聞いたことのある声に変化していく。
 懐かしいこの声は、あの3人だ。
「死ね」
「死ね」
「死ね」
 やめろ。
 そんなこと、俺の仲間たちは言わない。
 俺の仲間にそんなこと言わせるな。
 嫌だ、怖い、怖い、怖い。
「死ね」
「─!」
 俺の耳には、誰の声も届かなくなった。
─side宵宮氷  10月17日  22時
「氷くん?」  
 誰かの声が聞こえた。
 目を覚ます。
 目に、男の人が移った。
 これは、ひょうだ。
「、、、」
 声が出ない。
 身体も動かない。
「待ってるよ」

「─!!」
 身体が、動いた。
「ここ、は?」
 辺りを見回す。
 確かに、いつもの学校だ。
 なのに、誰もいない。し、外が暗い。
 なんでだろう、と時計を見ると、短針は10を指していた。
「、、、10時?夜の?」
 なぜ、夜までいるのだろう。
 もしも寝ていたとしたら、起こせば良かった話だ。
 いや、さっきは寝ていたか?
 俺はさっき─。
 見たものを思い出す。
 そうだ、歴史の授業だったんだ。そのときに、隣の人に赤ペンを貸して、教科書を持って、それで─。愛知の風景の写真があって、気付いたらあいつらの声がしてて─それで、ここ?
 それなら、寝ていない。
 急に飛ばされたのだろうか。
 まぁ、どちらにせよ早く帰った方が良い。
 取り敢えず、見回していると、目の端に赤色の何かが映った。窓の方に行って、確かめる。と、そこに見えたのは、赤色に変色した海だった。
「え、なんで、、、?」
 ここに来たばかりの時は、この青い海が綺麗だと少しはしゃいでいたのに。
「や、何かの間違いだ。きっと、誰かが色水を流したんだろう?」
 そんなことあり得ないけど、そう思っていた方が、怖くなくて良い。
「よし、一旦外に出よう」
 俺は、ドアを開けた。
 ガチャン、と閉めて改めて外を見る。もう、真っ暗だ。早く帰ろう。
 俺は一階まで、早足で階段を駆けて行った。そして、下駄箱に到着する。
「さ、早く履き替えてっ、と」
 シューズをしまい、靴を履いて、昇降口の戸を押す。しかし、開かなかった。
「くっそ、、、昇降口開いてねぇのか、、、」
 小学棟が開いていないということは、きっと中学棟も高等棟も、開いていない。
「だったら─あ」
 そこで、思い付いた。体育館の方渡り廊下なら扉が無いため、いつも開いている。そこから、外に行ければ出れる。
 体育館は、中学棟。
 俺は走って、中学棟に向かった。
─side宵宮氷  10月17日  22時10分
 渡り廊下を途中で横断すると、外。
 やはり、暗い。
 帰ろうっと。
 俺は、門に向かって走る。だが、門に近づくにつれて、俺はとあることに気付く。
 坂が、無い。
 唯一、学校から町に繋がっているのはこの坂だけなのに、海に溺れている。完全に浸水している。
 最悪だ。帰れない。
 となれば、助けを呼びに行った方が良い。
 電話だ。しかし校長室は開いていない。だったら体育館の電話を使おう。
 俺は体力を充電するため、歩いて向かう。
 体育館を開けると、何も見えないくらい闇に沈んでいた。
「まじか、、、」
 本当に怖かった。
 ここまで何もなかったが、何かありそうな予感がしていた。
 でも、ここを行かなければ助けは来ない。
 俺は、勇気を出して、体育館に足を踏み入れた。
「、、、なんだ、何も、無い」
 ははっと、笑って、もう一歩足を進める。と、扉が勝手にすごい音を立ててバタン、としまった。
「、、、!?」
 後ろを向くが、何もいない。
「誰もいないじゃんか、驚かせんなよ、、、」
 その時、急に体育館が明るくなった。
「え?」
 前を、向きたくない。何かいる気がして。
 怖すぎて向けない。どうしよう、と心臓の音が速くなる。どうせなら、向いちゃえ─!
 思いきって顔を前に向ける。目にしたのは、光に照らされた舞台と、マリオネットの女の子だった。
「マリオ、ネット?」
 しかし目を閉じている女の子は、人形っぽくなかった。だとしたら、これは本物の人?
 舞台に登る。
 近くで見ると、本当に細かくよく見えた。
 長くて細い綺麗な手足に糸が巻き付けてある。それは舞台の天井の方に繋がっていた。長く黒い艶やかな髪。顔も整っていて、これを美しいと言うのならば、彼女は美少女だ。
 そんな彼女が、マリオネット?
 誰もいないのに一人ここで?
 急に不気味思えてきて、立ち去ろうとした。
 その時、後ろで何かが動いたように感じた。
「、、、え」
 怖すぎて、向けなかった。
 もし動いたのが彼女だったら─
「誰?」
「うわぁぁぁぁぁ!?」
 俺は叫んだ。そのまままっすぐ走り、後ろを向いた。
「驚くよね、こんなだもん」
「は、いや、そういうことじゃなくて」
 てっきり、死んでいたと思った。
 そんなこと、言えはしないけど。
「私、コフユ。君の名前は?」
「え、あ、俺は氷」
「へぇ、いい名前だね」
 コフユ。
 その名の響きは、どこか懐かしく感じた。
 いや、それよりここに人がいると言うことは、何か知っているのだろうか?ゲームで言う、まさにキーパーソンだとか言うやつだとしたら、これはチャンスだ。
 俺はコフユに訊いてみる。
「ねぇ、コフユ。ここってどこ?」
「ここはね、、、ぅぐっ」
「な、おいコフユっ?」
 どうしたのだろうか、コフユは言いかけたところで、言葉を止めた。
「ぐ、あ、え、っと」
「コフユ?」
 とても苦しそうにもがいている。俺は、コフユに近付く。と、とあることが分かった。
 ─首に、糸が巻き付いてる?
 さっきはよく見えなかったが、首の糸が天井まで伸びている。すると、コフユは無言で電池が切れたように、力が抜け、項垂れるようにして倒れた。腕や手首、首の糸が軋む音を立てる。
「あ、おい、立った方がいい、痛いだろ?」
 俺は、コフユを立たせる。その時、コフユの目から黒い涙が流れてきた。思わず手を離して後ずさる。
「え、コフユ?」
「、、、て」
「え」
「逃げて」
「!?」
 舞台のカーテンが勢いよく閉まる。俺はそれを寸でのところで避ける。
「、、、?」
 なんなんだよ、と心臓のあるだろう上半身の左側を押さえる。血流が速く巡っている。怖いという感情が、今更のように沸き上がってくる。
 と、カーテンからコフユが顔を出した。
「、、、氷」
「はっ、な、何っ?」
「教室の灯りを消して」
「え?」
「頑張って」
「え、それって、どういう─」
 苦しい悲鳴を小さく上げながら、カーテンの奥へと戻っていった。
「灯りを、消す?」
 そういえば、蛍光灯が付いた学校だったはずなのに、確かロウソクが付いていた。ということは、そのロウソクを全て消していくのだろうか。
「、、、行って、みるか」
 行くしかない。ここで止まっていても何も始まらない。
 俺は勇気を振り絞って何とか歩き、体育館を後にした。

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