宝満山⛰ちょいと詳しく‼️
最初にお伝えしておきます。
今回めちゃくちゃ長いです💦
ご興味ある方だけ、どうぞ〜❤️
福岡県太宰府市と筑紫野市にまたがる
「宝満山⛰️」
山岳信仰の山として鳥海山、富士山などに続き
”霊山”として国の史跡になりました。
(平成25年10月17日)
今年で10年目🥰
只今、福岡県筑紫野市、太宰府市で
宝満山関連イベントが開催されています。
筑紫野市講演会「祈りの山 宝満山」に
行ってきました٩(๑>∀<๑)۶💙
この時頂いた資料を添付しま〜す📝✨
興味ある方は( ꜆..)꜆ドウゾ
見にくくてごめんなさい🙏
三つの山名があり
【竈門山・御笠山・宝満山】
元々は、「御笠山」と呼ばれていたんだってー。
「御笠山 」というのは、筑紫野市側(南側)から山を望むと「笠」の形に見えるところからきたものです。「笠」は古来「神の依りまし」とされていました。
「宝満山」の名が一般的になるのは
昭和になってから。
「宝満山」は、祭神の神仏集合的な尊名「宝満大菩薩」による。
へー。そうなんだ😳
宝満山と呼ばれ始めたの最近なのね。
山も名前が変わっていくんだね。
私が生まれた福岡県久留米市には
【高良山⛰️】があります。
こちらも高牟礼山(たかむれやま)から
高良山へと変化していったようです。
高良山にはもともと高木神(=高御産巣日神、高牟礼神)が鎮座しており、高牟礼山(たかむれやま)と呼ばれていたが、高良玉垂命が一夜の宿として山を借りたいと申し出て、高木神が譲ったところ、玉垂命は結界を張って鎮座したとの伝説がある。山の名前についてはいつしか高牟礼から音が転じ、良字の二字をあてて「高良」山と呼ばれるようになったという説もある。
承和9年(842年)には奉幣の記事が見えるほか、延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳では、筑前国御笠郡に「竃門神社 名神大」と記載され、名神大社に列している。なお、当時の社名の訓みは一般に「カマト」と付されるが、「カマカト」と付す写本もある。
濁音が無かった時代かな✨
先ほどの「高良山」も「宝満山」も元々は違う
神様(地主神)だったのね。
上記2ページ目より一部抜粋
⬇️⬇️⬇️
御笠山と名づくは群の名を取れり。
大田之社・小田之社
この両社は御笠山の地主神なり。或は濡衣の宮という。当山を竈門狼に奉る時に、歌よみして曰う。
あやしくもわれ濡衣を着つるかな御笠の山を
人にとられて
『竈門山宝満宮伝記』
取られちゃったんだ
なんか、切ないね🥲
ついでに…
【濡れ衣】の言葉発祥は、博多だった‼️
調べてて気になったこと
https://www.city.dazaifu.lg.jp/uploaded/attachment/8605.pdf
一部抜粋⬇️⬇️⬇️
「水分わり(みくわり)」とは…🤔⁉️
「水配り」の意》山から流れ出る水が分かれる所
時は流れて平安時代中期、
「みくまり」=「みこもり」と読み、
「身ごもり」=子授けや子どもを守り育てる神としても信仰されるようになりました。
水分(みくわり)→御子守(みこもり)→
縁結びの神❤️
竈門神社は「方除け」「厄除け」「縁結び」
の神です。
鬼滅の刃で炭治郎が来てる羽織
「市松模様」
碁盤目状の格子が色違いで交互に並べられており、その柄が際限なく続いていくことから“繁栄”の意味が込められています。
大分には「八幡竈門神社」があります。
こちらも有名ですね❤️
「豊後国風土記 速水郡」に
「竈門山」と記載されているところがあります。
※3ページ
講演会では、他にも色々お話がありました。
英彦山と宝満山についてなどね。
宝満山は「金剛界」
英彦山は「胎蔵界」らしい。
https://www.city.chikushino.fukuoka.jp/uploaded/attachment/2336.pdf
この山道(修験道)を山伏の方々は
歩いて修行されていたのね。
ほんと凄いや‼️
ここまで読んでくださり
ありがとうございました🥰🙏
住んでいる場所を知りたいと
今回「宝満山」の講演会行かせて頂きました。
調べたら、もっともっと
地域の歴史を知ることできそうですね。
自分で足を運んでこそ知れること。
少しずつ見つけていきます🥰
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