2015年9月27日
2025年を迎えたことで、ヤクルトが14年ぶり7度目のリーグ優勝を果たした2015年が10年も前のことになってしまった。
2008年にヤクルトと出会った自分にとって初めての優勝となった2015年。
2021年を知るまではこの年が人生のピークだった。
そんな2015年が今から10年前だなんてとても信じられない。
せっかくの節目なのでこの年のことを前年のオフから振り返っていきたいが、さすがに長すぎて挫折するのが目に見えているので()、現地観戦したことを擦り続ける試合ランキング第2位の試合について語りたい。
(ちなみに第1位は2021年11月27日の神戸で日本一を決めた試合だ。↓)
それは9月27日、東京ドームで優勝マジック3を点灯させた試合である。
この試合のチケットは狙って取ったわけではない。
数か月前からヤクルトファンの友人と東京ドームに行こうか~という話をしており、双方の都合がよかったのがたまたまこの日だっただけである。
当日が近づくにつれ、これはもしかしてとんでもない日のチケットを取ってしまったのではないか…?とソワソワしてくる。
いやそれは後付けで、当時は毎日の優勝争いに一喜一憂するので精一杯で、そこまで考える余裕はなかったかもしれない。
そして迎えたのが2.0ゲーム差の2位巨人との9/26、27の天王山2連戦。球場は敵地・東京ドーム。
1位のヤクルトはどちらか1つでも勝てば優勝マジックが点灯する。
初戦はテレビで観戦していた。
1回に山田選手の3ランホームランでいきなり3点を先制したが、結局追加点を取ることができず、3-4と逆転負けを喫した。
(余談だが、高卒ルーキーだった岡本選手がこの大一番で同点打タイムリーを放ち、お立ち台で「奈良のジョニー・デップです」と岡本節を炸裂させた。)
依然としてヤクルトが有利な状況に変わりはないし、元々2試合とも勝てるとは思っていなかったが、敵地、追われる側のプレッシャー、翌日の巨人の先発はエースの菅野投手…どうしても「明日は勝てるかな…」と弱気になってしまう。
これで優勝できなかったら、2011年にも独走しながらV逸したのに、いつになったら優勝できるんだろう…。
悶々とした夜を過ごし、翌27日を迎えた。
先発は中4日で石川投手。
彼ならやってくれるはず。彼でダメなら仕方ない。
今まで逆境を乗り越えてきたからこの位置にいる。優勝にふさわしいか、底力が試される。
そう気持ちを切り替え、敵地へと向かった。
東京ドームに到着すると大勢(おおぜい)の巨人ファンに圧倒される。
今でこそヤクルトファンも増えたが、当時はまだまだ少なくて、球場の外周にはほとんど同志がいなかった。
その中でビジター応援席に着くと、そこだけがオアシスのように感じられた。
スタメン発表の頃には球場内は異様な雰囲気に包まれていた。
自分にできるのは少数精鋭のビジター応援席から声を枯らして声援を送ること、それだけだ。
そしてベンチ前では、ヤクルトの選手がまるで高校球児のように円陣を組んでいた。
(実は自分は見逃しており、後で知ったのだが…)
この円陣は2021年、2022年の大一番にも組まれ、チームの伝統のようになりつつある。
伝統が絶えないうちに、この円陣を知っている選手がいるうちに、絶対にまた優勝してほしい。
エース対決ということもあり、試合は4回まで動かなかった。
ヤクルトは5回表に無死1,2塁のチャンスを作ると、8番の中村選手がバントをして9番の石川投手に回す。
そして石川投手がライト前に執念の先制タイムリー!
さらに上田選手の内野ゴロの間にもう1点追加してこの回に2点を先制した。
その裏、1死2,3塁のピンチを迎えると犠牲フライで1点を返され、実は発熱していたという石川投手は5回1失点で大役を全うした。
ここからは優勝の立役者となった鉄壁リリーフ陣の出番。
しかし、6回は秋吉投手が三者凡退に抑えたものの、7回以降は防戦一方だった。
7回はロマン投手が無死1,2塁のピンチを招き、バント失敗で1アウトを取る。
ここで久古投手に交代し、相手の代打攻勢を三振とセンターフライに打ち取った。
8回はオンドルセク投手が2死3塁のピンチを招くと守護神・バーネット投手を早くも投入して、死球を与えたが続く打者を空振り三振に抑えた。
そして9回はバーネット投手が1死1,2塁のピンチを迎えたが、連続三振で切り抜け、踊って吠えてガッツポーズ!!
2-1の死闘を制し、ついに優勝マジック3が点灯した!!!
毎回のピンチに心臓はバクバク言いっぱなし。そして勝利の瞬間は涙が出そうになった。声を枯らして応援してきてよかった。
そして5日後、ヤクルトは本拠地・神宮球場でリーグ優勝を決めた。
この試合のチケットは取れなかったのでテレビ観戦だったが、初めて経験する優勝は本当に最高としか言いようがなく、このために今まで応援してきたんだと思えた。
次にヤクルトが優勝した2021年、優勝争いのさなかには何度も2015年のことを思い返し、2015年と2021年を重ねた。
2015年に団子状態の熾烈な優勝争いを制したので、同じような混戦となった2021年にも優勝できるイメージしかなかった。
2015年を知る選手たちも同じ思いだったのかもしれないし、その思いが2021年の優勝につながったのかもしれない。
たまたま立ち会うことのできたマジック点灯の瞬間。
10年経った今も、この先何年経っても、忘れられない試合となった。