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母から卒業!もう縛られなくていい

あ、私、コレがつらかったんだ。

昨日、実家の母と話していて思ったこと。

「こんなふうに返されたら、私、嫌だったよね。」

自分で自分にいいこいいこしてあげられた。

母は自覚ないと思うけど、それってジャッジしてるし、相手の価値観を否定しているんだよ。


子どものときは気づかなかったけれど

昨日、県内の実家に顔出して、テレビ見ながら話してた。

テレビでステキはカフェを見て、

私「こんなカフェ、開いてみたいな!

 毎日自分の好きな感覚に囲まれて、ステキ。

 そうそう、こういうメニュー!!

 思わずわぁ!って言葉が出ちゃうよね。

 そんなお客さんの反応見るのもツボだなぁ。」


私は目の前のテレビを見て、そのいい感覚をジンワリ味わいながらこんな話をしてた。

カフェを開くことを本気で考えてるわけじゃなくて、妄想を楽しんでいる、そしてそのいい感覚を味わっている、そんなひとときなのね、多分私にとっては。


母「何言ってんの!

 そんなことできるわけないじゃない。

 私、自分の親に言われたよ。

 喫茶店は水商売とおんなじなんだから苦労するのは目に見えてるって。

 お店にやってくる人を待つような仕事は苦労するってね。」


ドドーーーン。

いきなりぶっこまれました。

親としての心配からの言葉なんだとは思うけど、そこ、親スイッチ入れなくていいから。

カフェやりたいなぁ→やっちゃおっと!

ってなるか!!

それに喫茶店が水商売と同じって…その言葉からは喫茶店も水商売もなんだか否定的なイメージが伝わってくる。

どちらも大切な仕事だよ。

それをしている人が誇りに思ってやっていたら、どんな仕事だって輝くよ。


そこから少し経ったころに、

母「父が洗い物をしてくれるようになったけどどんどんお皿が割られてお気に入りもなくなっていく」

という話が母から出てきた。

多分、悲しいねって気持ちを共感して欲しかったんだと思う

でも私もクセね、さっきあんなふうに言われたことで母に優しい気持ちになれなかった。


私「あんなにお皿があるんだからいいじゃん。

 うちも次男がどんどん物を壊すけど、ま、一新できていいわぁ、くらいに思ってるよ。

 そうでもないと、お皿なんてずっとたまっていく一方だし。

 お皿を割らなくなるまでは、お気に入りだけは使わないように上に置いておけばいいんじゃないの?」


母「え!?あんたをそんな人間に育てた覚えないんだけど。

 壊れても直して大切に使うって大事だし、物をそんなに簡単に次、ってできないわよ。」


父「ジェネレーションギャップじゃないの?

 若い人たちとは考えが違うもんなんだよ。」


伝えたいことってそこじゃなかったなぁ。

チラッと物であふれているキッチンを見ながら思ってて。

物を大切にするのはわかるけど、母の場合はどんどん物を買って捨てないから、物が増える一方じゃない。

お皿が割れて減るのはちょうどいいと思うけどな。

なんて。

そんなの伝わらないよね。

私も感覚が変わるまで、たくさん本を読んだもの。

意識しないとどんどん物ばかり増えてしまう今の世の中では、母のようになんとか安い物を買おうとする精神となかなか物を捨てられない考え方では物に囲まれて暮らすようだよ。

なんて。

私も母に自分の価値観をぶつけてるに過ぎないか。。反省。


価値観の話に今度は移って、

私「お金の価値観はそれぞれよね。

 私は時間とお金を天秤にかけて、時間をとることだってある。

 ドラム洗濯機で乾燥まですると月に3000円は電気代が増える。

 でもその分干す、取り込むの時間が短縮できるから他のことができる。

 私の仕事だってそう。

 お金を稼ぐことだけだったら別の分野の方が効率よく稼げるけど、今の職場にいるのはやりたいことができる環境があること、子育てとの両立がしやすいことから。

 効率よく稼げないけど、満たされるからだよ。」

と語ると。


母「一貫性がないよ。

 さっきはカフェの話。

 でも結局自分の仕事は今の仕事って話だし。」


カフェはいい感覚に浸りたかっただけだし、今は現実的な話をしてるだけだし。

なんか話しにくい。

どんな話をしてたっていいじゃない?

表現の自由は認められないのか?

そっかー、そうなんだねって流したっていい話。

どうして突っ込んでくるかな、相手を否定してくるかな、相手を決めつけてかかるかな。

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お互いに自分の主張ばかりだった

昨日はモヤモヤが止まらなかった。

親子って難しいね。

子どもの言うことって、親にとってはきっと特別なんだろうね。

でもなんか話しにくかったなぁ。

で、それって昔から感じてたなぁ。


夫にモヤモヤを聞いてもらったら、

夫「まぁ、あの場でオレは入る余地なかったよ。

 場が悪くならないようにサラッと表面的なことしか言えないよね。」


夫はちゃんと場を読む。

そして我が家に来ると、息が詰まるような話が多くて、どうでもいい話で盛り上がるみたいなことがないよねって言う。

わかる!

そんな空気なのよ。

ピリッとしてるわけじゃないんだけど、雑談がないんだよね。

で、価値観もお互いに認め合うってよりはぶつけ合うって感じなの!

息が詰まるよね、それ言いたかった!!


昨日は親のことをあーだこーだ夫に聞いてもらった。

今日改めて一部ではあるけど、昨日の会話を思い出しながら記事を書いてて思ったのは、結局私も同じじゃんってこと。

物を大切にする、という価値観に対して、私の意見を、ぶつけてるしね。

でもそこからお互いの理解に進まないんだなぁ。

あなたはこうなんだ、私はこうなの、でいい話なはずなのにね。

後味が悪いんだなぁ。


自分に対してあんまりいい話をしてこない人に対して、夫はテキトーに流して付き合う、と思っている。

でも、私は次こと言い負かせてやるくらいの勢いでいる(笑)


あ、コレに関してはしーくんいわく、

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らしいので、タイプによるんでしょうね。


親子の距離感

私とは母は距離が近いのよね、お互いに。

改めて、距離の近さの弊害を感じた。

普段はもう少し遠くていい。


親子ってだけで近いから、それ以上に近づこうとしなくていい、そんな感覚をやっと腑に落とせた気がする。

それは自分が今、子育てしていて腑に落とせなかった感覚でもある。

家族って距離が近くて分かり合えるのがいいんじゃないかって気持ちが払拭できなくて。

自分の実家がそれやってよかった、といういい視点でしか考えられてなかったから。


でもちゃんとデメリット、あったよ。

親と話をして、やっと客観視できて、ニュートラルな視点で自分の家庭を見られそうだよ。

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距離感の修正

子育てしていて、私の人との距離感がなんか近すぎるんだということは薄々気づいてた。

それで仕事でも子育てでも思い悩むことが多いんだということも。

それは自他の境界があいまい、という言葉で表せることも知った。

でも分かったからといって、じゃあ自他の区別をしっかりとつけますってすぐにできるものじゃなくて。


それでもなんとかしないと子育てで空回りすることが多かったから、夫と話したり、noteで言語化したりしてきたの。

夫はキチンと自他の区別ができている人だし、精神的に自立していると思う。

むしろ人との関わりは最低限で生きていきたい人だから、そこはホントにスパッと潔いくらいで。


私はその間くらいでいい、必要なときは線引きして、この人とは心地よい感覚がもう少し近いかなって思ったら少し近づいてもいいし、心地よくなかったらサラッと付き合えばいい。

以前のようにどんな人とでもうまくやらなくちゃ、丁寧に関わらなくちゃ、うまくいかないときは私の関わり方がうまくないからって思わなくていい←どんだけ縛られてたの!?


母からの影響ってホントに大きい。

母はまだ自他の境界はあいまいだし、人の話にはジャッジするような言い方をする。

母もまた自分の母からの影響を受けていると思うし、無自覚でやっているのもわかる。

悪い人ではないけれど、何か自分に都合の良くないことが起きたとき、冷静に自分を振り返ってみるってことはしていないかなって思う。

そう、自己対話が苦手な気がする。


自己対話って大事だと思う。

自分と丁寧に関われたり、自分をジャッジしないでいられると、他人とも丁寧に関われたり、ジャッジせずにすむ。


自己対話して、感覚を修正して、その自分で実家の親と話をすると気づきがいっぱいある。

そういう意味では、私は思春期にできなかった親からの自立を今やっとしようとしてるのかもしれないって思う。

当時は親の言うとおりにしか動けなかった。

というか、自分の感覚をそのまんま受けとめてもらえてなかったのは、今ならよくわかる。

でもそれって親だから仕方ないのかなって部分も理解できる。

だけど意識して、ひとりの人間として尊重し合えるような関係ではなかったかな、そこは残念。


ただ、そういう環境だったから、より理解し合える人を求める力が強くなって、今の夫と出会えたのかなと思う。

いろんな人と出会ったけど、夫ほど器が深くて広くて、それなのに自立しているって人には出会えなかった。

出会った感覚でピンときたもの。

どんなにポーカーフェイスで自分のことを語らない人でも、佇まいや少ない言葉でもその言葉の重みでわかるよね。

自分の感覚を信じて、宇宙人だなぁと思いながらも関係を大切に考えてきて良かったと思う。


私は私の感覚を信じていいし、母親の価値観に惑わされなくていいし、自分で言葉にしたいって思ったことはなんて言われようと自分では大切にしていい。


きっと母にはどうしようもない子とか、

なんでこんなふうに育っちゃったかしら(そんなふうに育てたつもりはなかったのに)とか、

ダンナさんはこの子のそばにいて大変だわとか、


いろいろ母の頭に浮かんだことは想像できて、嫌な感じは拭えない。


前ならどこかでそれに縛られてたんだけど、そこから解き放たれようと思う。

母がどんなふうに育てたいと思おうとも、私は私なんだもん。

これが私。

私の人生の楽しみ方!!


ああ、なんかそこを腑に落とすと、子どもへの執着も解き放たれる気がするなぁ。

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