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ステップがたくさんある子育て

フツーの子育てを知らない、発達特性豊かな3人の子育て中のみかんです。

3人ともフツーの枠には入らない上に、私は私で思考のクセが半端ないもんだから、結構苦戦してます。

今日は知的な遅れと発達の凸凹が2歳から5歳と幅広い5歳の三男のお話を少し。


発達特性が豊かな我が子たち

これから話すことは、勉強したことに加えて私の解釈も加わる話になると思います。

みかんという人は、いろいろ勉強した上でそう考えている人なんだな、と思って読み進めて下さい。


知的な遅れ、というのは、脳の発達の遅れで、一般的には全般的な遅れを言います。

言語や運動、認知の部分で多少の波はあるものの、全体的に1年くらい遅れている、とかね。

うちの三男は、そこに自閉症スペクトラムの特性が加わっています。

パターンやルーティン、視覚的な情報に強く、いつもと違うことは基本的に難しいです。

凸凹でいうと、現在5歳ですが、数字などは年齢相応で、言語は2歳くらい。

律儀で細かくて、生活の中でパターンがわかるとそれが良くも悪くも習慣化。

世界がなかなか広がっていかないのと、臨機応変に行動を変えていくのが難しいです。

でも、彼の世界の範囲で生活をしている分にはとても穏やかで朗らかで、かわいらしい癒し系です。


ちなみに長男は同じ自閉症スペクトラムですが、知的に遅れはなく、得意な部分は人よりも能力がかなり高く、苦手な部分は人より低い、平均して年齢相応なタイプです。

学校生活で、対人不安が強くなって、今は自宅でネットスクールを利用して勉強をしています。


次男は自閉症スペクトラムとADHDがあるけれど、発達の凸凹よりは、注意障害によるムラが目立つタイプ。

何かに集中してても強い刺激があると気が逸れてしまうし、必要なところに注意を向けるのも難しかったりします。

注意っていうのは、意識とかフォーカスとかそういう言葉に換えるとイメージできるかもしれないけれど、学ぶ機会や状況があっても上手く学べない可能性が高いから、失敗することも自然と増えます。


長男も次男も、特性により学校に行くのがつらくなりやすいんだけど、三男のようにハッキリとわかりやすいハンデがあるわけではないから、支援をお願いするのも難しく、それはそれで悩んできてるんですね。

ただ、本人たちがぶつかっているハードルの高さはそこそこなんです。

生きていくために、よりも少し高くて、この社会にうまく適応していくために、というレベルのハードルというか。


三男は生きていくために、と、社会適応のために、のハードルが混在しています。

社会適応のためのレベルも、他の子だったらそんなに悩まないレベルの方が多いです。


最近の三男のハードル

今、いちばん悩んでいるのは、修了式に制服を着て登園できるかなってこと。

保育園と違って、幼稚園には制服があるんですよね。

三男が通う幼稚園は、年少はスモック登園だけど、年中と年長は制服登園。

しかも午前中のみの水曜日はスモック登園でよくて、夏と冬で帽子が変わります。

スモックも長袖とノースリーブがあるし、衣替えを境に着ていくものが一気に変わるんです。


まぁ日本では当たり前と言えば当たり前ですが、三男にとってそういうルールは入りません。

ルールを視覚化しても、まだ難しいです。

だから、いちばんオーソドックスな方法で、今は乗り切ってます。

制服登園でも、行けばスモックに着替えるので、三男は登園は常にスモック。

これが一番無難でした。

帰りは流れで制服を着て帰れます。


ま、小学校行けば制服なんてないしね。

そこまで毎日の制服にはこだわってないのですけど、修了式に制服を着て行けるかな、は別問題。

入学式や卒業式など、イベントのときにはそれに合った服というのがあるわけで。


さて、どう切り抜けるか。


1.本人が参加できるのを最優先して、着ていける服で行く←これは最終手段にしたい

2.少し早めに行って、幼稚園で先生に促してもらって制服に着替える←現実的。今度相談してみよう

3.当日の予定を視覚化して本人に理解してもらい、心の準備をさせることで当日は朝から着ていける←理想だけどレベルが高い


こんな感じです。

どのレベルなら本人ができそうか、パターンを考えて、できそうなことを相談しながらひとつひとつこなしていく。

これに、ものすごーーく頭を使うんです。

(頭を使うのは長男や次男に対しても同じだけど)

いくつかハードルの高低で案を考えるのだけど、そのためには自分の中の当たり前を崩していかなきゃいけないんですよね。

例えば、雨の日は長靴で。

私にとっては当たり前だったけど、当たり前にならない現実に対して、現実を嘆いても仕方なくて。


私には世の中のいろんな決まりを「こうすべき」と捉えて、結構頑張ってこなしてきた方でした。

そうするのが当たり前で、それができないとダメなんだって。


我が家は3人とも、そういう「当たり前」がすんなりできません。

私はどうにか当たり前を当たり前にしなくちゃって努力してきた時期もあったけれど、今は「本人のレベルに合わせてできることを選択していく」にやっとシフトできました。


今度はそれを自分に…。

でも当たり前ってなかなか崩せないんですよね。

そうじゃなきゃダメって強く思ってきたことだし、大抵そう思うキッカケになった失敗体験があったりするから。

怖くて、手放せないっていう「当たり前」って結構いっぱいあります。


自分で考えて、自己選択していく時代

社会のために真面目に働く人間の大量生産が目的の、今の教育体制。

これからは時代の変化で必要とされる仕事の内容も変化していくし、どんどん多様化していきますよね。

言われたとおりに動く人間ではなくて、自分で考えて選択する時代になってきています。

今の教育体制で学べることはたくさんあるから、それを上手く利用しつつ、心はちゃんと自分に向いているっていう状態が作れることって大事な気がしています。


まずは私が!と思うけど、これがなかなか難しい。

それこそ、子どもたちと一緒に変化していこうと思っている感じです。

子どもの方が柔軟だし、脳の反応もフレッシュ!

刺激をもらう日々です。


だけどやっぱり、子どもたちの目の前にある壁に対しては、一歩引いてよく考えて、今必要なサポートができることというのは大事で。

とりあえずやってみな、だと不十分すぎて、子どもたちはあっという間に家から出られなくなってしまうと思います。


適度な切り替えが必要

でもね、実は子どもたちの支援を考えていたらキリがなくて。

だって、できないことを数えたらめちゃくちゃあるから。


元々自分も脳のキャパが少ないので、すぐパンクしちゃいます。

やることの整理というのは、常に必要。

子どもの状態を見て、いつもと違うとか、SOSサインを見つけたらサポートスイッチを入れる、くらいの余裕がないとですね。


はぁ、ちょっと悩みすぎてたのかもしれないです。

言葉にすると、十分考えてるんだから、体調悪い時は休みなさいって自分に言える気がします。

今日は貴重なタスクのない日。

休みます。








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