ずっと見ていた
初夏といえど都内は35度を超えるような日の夜
父を駅で待っていた。本を読みながら。不意に声をかけられて顔を上げると彼がいた。
久しぶりに見た。変わらない穏やかな雰囲気。最後に会ったのはどのくらい前だろうか。
何を話そうか、声が詰まった。
どうしたの?と彼。
父を待っているの、と私
一言二言のやり取り、くるりと回って歩いて行ってしまう彼に、心の中で待って、と言った。彼は行ってしまう。追いかけたかった。でも追いかけて何を話せばいいのか、思いつかなかった。考えているうちに彼は暗闇に包まれて、見えなくなった。
ずっと見えなくなった後もその道を見ていた。
本に目を落とす。さっきまでのめり込むように読んでいた文字が、ただの黒い線にしか見えない。
じんわりと汗のかく晩にきっとずっと忘れられない一瞬を過ごした。
走る車、光るライト、忙しなく動いていく世の中でこれから私は何を生み出せるのか、誰も知らない。
彼の1本あとの電車で父は帰ってきた。
忘れもしない9時54分吉祥寺行きで。